丹波でめぐる明智光秀ゆかりの地⑩ 波多野秀治の墓の四
季節と時節でつづる戦国おりおり第484回
味間奥の波多野秀治のお墓の傍らには、秀治・秀尚兄弟の辞世と偈(悟りの言葉)を刻んだ石碑が。
「よわりける 心の闇に 迷はねば いで物見せん 後の世にこそ」
「載骸香蓮 将開眼三天(骸を香蓮に載せ、まさに三天に眼を開く)」
三天は種々ありますが三仏のことで、蓮の花に乗って(死んで)いざ仏にまみえよう、という意味で合っているでしょうか。
「おほけなき 空の恵みも 尽きしかど いかで忘れん 仇し人をば」
秀治に比べて秀尚の辞世は、恐れ多い天の恩恵も尽きたが、にっくき仇は決して忘れないぞ、という今生の恨みをはっきりアピっていますね。無念のほどがうかがわれます。
さぁ、墓所を後にして次の目的地に向かいましょうか。
…あ、あれ?行く手に富農の面影を残した御屋敷が見えるのですが、その入母屋屋根の下の妻(三角形の部分)に家紋が入っていますね。往路は向きが違うので気がつきませんでした。
んんっ!?こ、これは!
以下、次回に続く。