世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第5回】「『もしもし亀よ』か、『カエルの歌』か」〈田中真知×中田考〉
田中真知×中田考によるウイズコロナ小説【第5回】
作家・田中真知と、イスラーム法学者・中田考によるウイズコロナ小説『世界のエリートはみなヤギを飼っていた』。
〈これまでのあらすじ〉
カーナビと言い争って高速道路を逆走したリュウ。痴漢電車に乗りながらも日々健気に看護師として働く同級生のレイ。中学以来会ったことのない二人。レイが勤める病院に緊急搬送されてきた意識不明の重傷患者は、「リュウ」こと「八木劉弾」だった。不穏な予感が胸にざわざわ広がるレイ。一方、一瞬目覚めたリュウは偶然遭遇したレイのことにまったく気づかない。できるだけトラブルに巻き込まれずに過ごしたいと願うレイの日常はそう容易ではなく・・・
大好評の【第5回】は「『もしもし亀よ』か、『カエルの歌』か」。
世界のエリートはみなヤギを飼っていた
第5回 「もしもし亀よ」か、「カエルの歌」か
「それでは定刻となりましたので、そろそろはじめさせていただきます。私、進行役を務めさせていただきます鶴亀病院看護師の武内レイです。よろしくお願いいたします……」
レイは自宅マンションの机の前でヘッドセットをつけてパソコンに向かっていた。
レイがオンライン研修の進行を務めるのは3回めだった。パソコンが多少扱えるということで、研修がオンラインになってからというもの、レイにお鉢が回ってくるようになった。
この日は非番だったので自宅からネットに接続していた。現場感を出すために白衣をまとい、散らかった部屋を隠すためにナースステーションを模したバーチャル背景をはめこんだ。
「……今日は鯉のぼり病院の元呼吸器センター長の亀渕先生をお迎えして感染症罹患後の呼吸器症状マネジメントについてご講義いただきます。亀淵先生、聞こえますか?」
返事がない。亀が口をあけたまぬけくさいアイコンだけがモニターに大写しになっている。
「亀淵先生、聞こえますか。ひょっとしてミュートになっていませんか。ミュートボタンを外してください。あとビデオをオンにしてくださいますか」
反応がない。
しばらく待っていると、亀のアイコンが消えて、頭の禿げ上がった年配の男性の顔が大写しになった。
「先生、映っています! こっちの声聞こえますか?」
画面では男性の顔が近づいたり離れたりしている。なにかしゃべっているらしく口も動いている。
「先生、ミュートを外してください! 左下のマイクの形をしたボタンです。そこをクリックして☓印を外してください! わかりますか?」
わかっていないらしい。
パソコン本体を叩いているのか画面が揺れる。そのうちに先生はよろよろ立ち上がると部屋を出ていった。
すでに現役を引退していると聞いていたので悪い予感がしていたのだが案の定だ。
しばらくすると、先生は幼い男の子を抱いた女性を連れて戻ってきた。家族らしい。
男の子を抱いた女性がパソコンを操作する様子が画面に映った。男の子は女性の髪を引っ張って暴れている。
まもなくミュートが外れたのか、「静かにしなさい! 髪を引っ張っちゃっダメっていったでしょ!」という女性の声が聞こえた。
ともあれやっとつながったので、レイはほっとした。
女性と子どもがでていったところで、
「亀淵先生、今日はよろしくお願いします」とレイはいった。
亀淵先生が画面の向こうでうなずいている。
「さっきのは私の末娘と孫です」
「元気のいいお孫さんですね」
「ありがとうございます。正一郎といいます」
「そうですか。いいお名前ですね」
「2歳と5カ月になります」
「そうですか……あの、それで今日のテーマですが……」
「正一郎は初めて生まれた男の子なんです」
「はあ……」
「亀淵の家は女が多くて、私には3人子どもがいるのですがみな娘で、孫も全員女の子でした。6人目の孫にしてやっと男の子です。つい甘やかしてしまって」
「そうでしたか。それではそろそろ……」
「なんで正一郎と名づけたかと申しますと……」
「あの、そこはぜひともお聞きしたいんですけど、時間もあまりないので、たいへん残念ですが、今日のところは講義に移りたいので、資料を画面共有してくださいますか」
「がめんきょーゆー?」
亀淵先生のきょとんとした顔がモニターに映っている。
「画面の共有というボタンを押してくださいますか」
レイがくりかえした。
「がめんのきょーゆー?」
だめだ!
レイは心の中でつぶやいた。院長の古い友人ということで紹介されたのだが断るべきだった。
亀淵先生はまたよろよろと立ち上がり部屋を出ていった。しばらくするとまた娘と正一郎が入ってきた。
娘がパソコンを操作しはじめた。その後ろで正一郎と亀淵先生がじゃれている。正一郎は亀淵先生に体当たりをくりかえしている。
そのとき突然、亀淵先生の姿が画面から消えた。次の瞬間、どーんと大きな音がした。
お父さん!
画面の中で娘さんが叫んだ。レイも思わず立ち上がった。
「先生! 大丈夫ですか。先生!」
*
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第1章 あなたが不幸なのはバカだから
承認欲求という病
生きているとは、すでに承認されていること
信仰があると承認欲求はいらなくなる
ツイッターでの議論は無意味
教育するとバカになる
学校は洗脳機関
バカとは、自分をヘビだと勘ちがいしたミミズ
答えなんかない
あなたが不幸なのはバカだから
「テロは良くない」がなぜダメな議論なのか
みんなちがって、みんなダメ
「気づき」は救済とは関係ない
賢さの三つの条件
神がいなければ「すべきこと」など存在しない
勤勉に働けばなんとかなる?
第2章 自由という名の奴隷
トランプ現象の意味
世界が「平等化」する?
努力しないと「平等」になれない
「滅んでもかまわない」と「滅ぼしてしまえ」はちがう
自由とは「奴隷でない」ということ
西洋とイスラーム世界の奴隷制のちがい
神の奴隷、人の奴隷
サウジアラビアの元奴隷はどこへ?
人間の機械化こそが奴隷化
人間による人間への強制こそが問題
第3章 宗教は死ぬための技法
老人は迷惑
老人から権力を奪え
老人は置かれ場所で枯れなさい
社会保障はいらない
宗教は死ぬための技法
自分に価値がない地点に降りていくのが宗教
もらうより、あげるほうが楽しい
お金をあげても助けにはならない
「働かざる者、食うべからず」はイスラーム社会ではありえない
なぜ生活保護を受けない?
金がないと結婚できないは噓
結婚は制度設計
洗脳から逃れるのはむずかしい
幸せを手放せば幸せになれる
第4章 バカが幸せに生きるには
死なない灘高生
寅さんと「ONE PIECE」
あいさつすると人生が変わる?
視野の狭いリベラル
夢は叶わないとわかっているからいい
「すべきこと」をしているから生きられる
バカが幸せに生きるには
三年寝太郎のいる意味
バカと魯鈍とリベラリズム
教育とは役立つバカをつくること
例外が本質を表す
言葉の暴力なんてない
言論の自由には実体がない
バカがAIを作れば、バカなAIができる
差別と区別にちがいはない
あらゆる価値観は恣意的なもの
『キングダム』の時代が近づいている
人間に「生きる権利」などない
第5章 長いものに巻かれれば幸せになれる?
理想は「周りのマネをする」と「親分についていく」
自分より優れた人間を見つけるのが重要
身の程を知れ
長いものには巻かれろ
ほとんどの問題は、頭の中だけで解決できる
権威に逆らう人間は少数派であるべき
たい焼きを配ることで生まれる価値
大多数の人にコペルニクスは参考にならない
為政者が暗殺されるのはいい社会?
謙虚なダメと傲慢なダメはちがう
迫害されても隣の人のマネを貫き通す
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