「意味ある人生」を求めすぎてしまう罠 好奇心を暴走させたナンセンスのすすめ【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」5 〜意味のある人生って何?〜
東大理三に入学するも現代医学に疑問に抱き退学、文転し再び東大に入る。東大大学院博士課程退学後はフランス思想を研究しながら、禅の実践を始め、現在「てらてつ(お寺で哲学する)」を主宰する異色の哲学者・大竹稽氏。深く迷い、紆余曲折しながら生きることを全肯定する氏が、「集中力の正体」を語るシリーズ。意識高いビジネスパーソン必読。「それってどんな意味があるの?」そう問うことが当たり前になっている人の不自由さについて。
■「どんな意味があるのか?」と問わざるをえない人
「ファーブルのかっこよさ」の記事に、多くのリアクション・コメントをいただきました。
見落としていたことや気づかなかったことを教えてもらえるのは、ありがたいですね。中でも、「好奇心は猫を殺す」にハッと思い当たりました。確かに、暴走する好奇心は、その対象物の命を奪ってしまいます。虫だけではなく、動物もまた、「身体の仕組みを知りたい」という欲求によって殺されてしまいかねません。
このような、浅ましく厚かましい側面は、「好奇の目」として表現されますね。「好奇の目」によって、対象者は己の恥部を解剖され、それを晒され、結果として「トドメを刺される」ことになってしまうこともあります。
コメントには「マッドサイエンティスト」という的確な表現がありました。行き過ぎた好奇心は、「狂気」に近づいてしまうのでしょう。
さて、今回のテーマの主軸となる「ナンセンス」ですが、これには「行き過ぎ」を抑制する力があります。
「どんな意味があるのか?」「どんな手段があるのか?」というウブな疑問に対し「そんなものはナイ!」と言われたら、あなたはどう思うでしょうか?
「聞いてないよ」と泡を食うでしょうか?「めんどくさいな」と顔をしかめるでしょうか?
しかし、これからの時代、AIと共存する時代には、こんな時こそ「やったあ!」と胸が弾んでしまうような人間にならなければなりません。
そのキーワードが「ナンセンス」です。
「ナンセンス」といえば、わたしは岸野さん原田さんのお笑いコンビを思い出してしまいます。ナイツの塙さんの芸に度々登場するコンビですので、知っている方も多いでしょう。
「ナンセンス」という言葉は、あまり日常的に使われませんが、「バカげている」「非常識だ」という意味で、「きみのその提案はナンセンスだ」のように使われます。
さて、カタカナ表記が示すように、これは外来語の一つ。英語では「nonsense」、フランス語では「non-sens」になります。フランス語が示すように「不・無・非」を意味する接頭語の「non」と、「意味」を意味する「sens」が組み合わさっています。言葉通りに訳せば、「ナンセンス」は「無意味であること」になりますね。
さて、このナンセンスが、一つの文学のジャンルにもなっていることを知っている方も多いでしょう。いわゆる「ナンセンス文学(「ノンセンス文学」とも書かれます)」ですが、代表がかの有名な『不思議の国のアリス』ですね。
著者は、ルイス・キャロル。この名前はペンネームで、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン、オックスフォード大学クライスト・チャーチの数学の教授だったことも、周知のところでしょう。文学と数学という、いわば相反するジャンルで活躍していたドジスン先生ですが、大学での彼の知人や同僚たちは、『不思議の国のアリス』に描かれたナンセンスやユーモアと、構内での彼の姿とのギャップに驚いたそうです。
ドジスン先生が作ったカリキュラムが残されていますが、確かにこちらは「ナンセンス」どころではなく、生徒の自主的な勉強のために作成された、「各プログラにどのような意味があるか」がはっきりとわかる、至極合理的なものになっています。