ものを作ることがデフォルト【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第33回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第33回
森羅万象をよく観察し、深く思考する。新しい気づきを得たとき、日々の生活はより面白くなる――。森博嗣先生の新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」。人生を豊かにする思考のツール&メソッドがここにあります。 ✴︎BEST TIMES連載(2022.4〜2023.9)森博嗣『静かに生きて考える』が書籍化(未公開原稿含む)。絶賛発売中。
第33回 ものを作ることがデフォルト
【作るために必要なこと】
昔の人は、多くのものを作った。生きていくうえで、さまざまなものを作らなければならなかった。狩猟のため、収穫のため、あるいは戦うために、数々の道具を作った。また、少し余裕があるときには、身を飾るもの、祈りを捧げるためのものを作った。ものを作ることが、人類台頭の理由の一つとなった。人は常に、なにかを作り続けてきた。
これは今でも続いている。生きていくためには仕事をしなければならないが、仕事というのは、なにかを生産する行為であり、効率を追求するために集団で生産するような仕組みができた。個人は、得意な作業に専念する方が合理的であり、分業が広まった。このおかげで、他者が作ったものを使うようになり、自分の手ですべてを作るという感覚が失われていく。今では、人の手で作る製品は少数になった。
さて、ものを作るときに限らず、行動の過程ではいろいろな判断が必要になる。どうすれば良いか、どちらが良いか、と考えるときに、好きか嫌いかといった問題ではなく、上手くいきそうか、どちらが楽か、などさまざまな予測、あるいは計算によって自分の行動を決めていかねばならない。このプロセスは、ちょっとした問題であれば無意識に行われていることが多いが、問題が大きくなると、その予測や計算自体が難しく、短時間で判断ができなくなる。作業の手が止まり、しばし考え込むことになるだろう。
このような経験を、人はずっと、子供の頃からずっと続けてきているはずだ。そして、自分では判断できない場合には、誰かに尋ねたり、本などで調べたり、あるいは情報を検索したりすることになる。とはいえ、外部に判断を求めて問題が解決するのは、同じ体験をした他者が存在する場合に限られる。問題が特殊なものになるほど、ずばりの解答は得られない。似た問題の体験から類推するしかない。
作るためにも予測や計算が必要となり、特に新しいものを作ろうとすると、周囲に尋ねて回っても答が得られる可能性は低く、類似のものから連想して補うしかなかった。
人間の思考は、このような環境で成長する。人類の歴史で長くこの状況が続いた。つい最近になって、電話や印刷物、あるいはラジオやTVなどのマスコミが登場し、より多くの事例を参考にできるようになったものの、多少検索範囲が広がった程度だった。ところが、ネットが普及して状況は大きく変化する。世界中から情報が得られ、しかも検索をコンピュータがしてくれるようになったため、自分が欲しい答を見つける確率が格段に高まった。一般的な問題であれば、おそらく2桁くらい確率が上がっただろう。ただ、マイナな問題(たとえば、研究や専門的な技術に関するもの)は、せいぜい1桁くらいの上昇か、というのが僕の感覚的な数字である。
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世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?
森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。