【巨星墜つ】渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆が死去 在任中に1000万部突破など功績残す
「ナベツネ」の愛称で知られた読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)氏が19日午前2時、肺炎のため都内の病院で死去した。98歳だった。葬儀は近親者のみで営まれる。喪主は長男、睦(むつみ)氏。後日、お別れの会が開かれる予定という。
関係者によると、渡辺氏は11月末まで定期的に出社していたが、今月に入って体調を崩し、病院で治療を受けていた。
亡くなる数日前にも社説の原稿に目を通して点検するなど、最後まで主筆としての業務を全うしていたという。
渡辺氏は東京都出身。東京大学を卒業後、1950年に読売新聞社に入社。ワシントン支局長、編集局総務兼政治部長、専務取締役主筆兼論説委員長などを経て、1991年に代表取締役社長・主筆に就任した。2002年の持ち株会社制移行に伴い、グループ本社代表取締役社長・主筆を2年近く務めた。その後、同会長・主筆を経て、16年から現職にあった。
渡辺氏の社長在任中の1994年、読売新聞の発行部数は初めて1000万部を突破。2001年1月には、最高部数・1031万91部も達成した。
その大きな影響力はスポーツ界にもおよび1996年から約8年間、読売巨人軍のオーナーとして「球界のドン」という異名を持つなど存在感を発揮した。そのほか、大相撲の横綱審議委員会委員長や政府の財政制度審議会委員、有識者会議「情報保全諮問会議」座長などを歴任。96から98年までは政府の行政改革会議の委員として、当時の1府21省庁を1府12省庁に再編する報告書のとりまとめに尽力していた。
文:BEST T!MES編集部