第38回:「サッカー以外のワールドカップ」
<第38回>
6月×日
【サッカー以外のワールドカップ】
突然だが、「嫌いなものを10個、挙げろ」と言われて、あなたはなんと答えるだろうか。
僕の場合、こういう答えになる。
①インゲン(噛んだときの食感がまるで虫)
②戦争(早くこの世からなくなりますように…)
③梅雨の時期(なにしていても楽しくない)
④銭湯の排水溝(なんか直視できない)
⑤渋滞(苦痛でしかない)
⑥落ち着きのない小型犬(狂ってるのか?と見てて怖くなる)
⑦ナメクジ(好きになってもらおうという気概が本人からも感じられない)
⑧放置されて硬くなったミカン(敗戦処理みたいな気持ちで食べる)
⑨ナオト・インティライミしか買わなそうな帽子をかぶり、コロナビール片手に「ジブン、音楽とかやってて~、自主レーベルからアルバム出してるんすよ~。あ、これこないだ作ったZINEっす、読んでください~」とか言ってくる人(話が合う気がしない)
そして、
⑩サッカー
である。
だから、6月は最悪だ。
③の梅雨と、⑦のナメクジ。
そして今年はワールドカップ開催につき、⑩のサッカーがある。
サッカーに対して「興味がない」という人は、多いだろう。
ただ、僕の場合は、「興味がない」のではなく、はっきりと「嫌い」なのである。
僕はサッカーに対して、特殊な怨念を抱いている。
僕は少年期より、運動音痴であった。
「二重跳び」どころか「一重跳び」も怪しいものだったし、逆上がりから見える校庭の景色を眺めたこともない。小学一年生、初めての運動会での50m徒競走にて僕は、25m付近で足首を捻挫。そのまま途中棄権した。
50mを走れない。そんな壊滅的な運動神経を持つ僕だったが、身体を動かすことは嫌いではなかった。休み時間では、校庭で鬼ごっこや高オニなどを仲間たちとめいっぱい楽しんでいた。
そんなある日、アレが突如、我々の前に現れた。
Jリーグ、開幕。
あのムーブメントは、子ども心にもショッキングなものであった。
昨日まで、鬼ごっこに夢中であった仲間たちが、校庭でこぞってサッカーを始める。
そして、みんなのペンケースが「マリノス」や「アントラーズ」などといったJリーグ一色に染まっていく。
かさぶただらけの腕に、誰しもがミサンガを装着する。
時代が変わった瞬間を、目の当たりにした心地であった。
そして、僕はどうしたか。
「ボールを、手を使わずに、運ぶ」。
サッカーのその基本ルールを知った瞬間に、僕は思った。「苦行か」と。
なぜみんな、そんな難解なことに夢中になれるのだ。ボールを足だけで操る?人間離れした荒業としか思えない。みんな、シルク・ドゥ・ソレイユあがりなのか?
一度だけ、校庭でサッカーの輪に入れてもらい、挑戦してみた。
たった10分間参加しただけで、仲間の間に「あいつはお荷物」的な空気が流れたのを察知し、すごすごと教室へ戻った。
そして、昼休みは教室の隅で引きこもるようになった。
僕のペンケースは一貫して「けろけろけろっぴ」だったし、ミサンガなど巻いていない腕にはたまにハエがとまったりしていた。
仲間たちがサッカーに興じている時間、時間を持て余し図書室から借りてきた「火の鳥」や「はだしのゲン」を貪り読んだ。だから、下校中に仲間たちが「アルシンドがうんたら」とか「ラモスがなんたら」などと会話に華を咲かせている間、僕はぶつぶつと「永遠に生きなければならないという裁き、それが人間にとっていかに辛い罰であるか…」とか「踏まれても踏まれても麦のように強く生きる…」などといった小学一年生にしてはひどく重すぎるひとり言をつぶやいたりしていた。
こうして僕は教室から、浮いた。
そしてそのまま、浮いて浮いて浮き続け、中学で浮いて、高校で浮いて、つかむべき藁すら見つからず、社会で浮いてる今日に至る。
あの時、Jリーグさえ開幕していなかったら、もっと違う人生だったのではないか。もっと華やかな人生だったのではないか。いまでも目覚めに、そう思うことがある。
「ニッポン!ニッポン!」、ブラウン管の向こうからそんな声援が聞こえるたびに、僕は憂鬱な気持ちになる。
ワールドカップで世間一色が染まるこの時期が訪れるたびに、サッカーを逆恨んでいる自分がいる。
ワールドカップがない世界に、生まれたかった。
ふと思った。
サッカー以外の「ワールドカップ」は、ないのか?
「ワールドカップ」の名を、サッカーだけのものにしていて、いいのか?
もしかしたら、こんなに運動音痴で、こんなにサッカーを忌み嫌っている僕のような人間でも受け入れてもらえる「ワールドカップ」がこの世のどこかに存在しているのではないか?
そう思いついたら居ても立っても居られなくなり、すぐさま「サッカー以外のワールドカップ」をグーグル検索(ちなみにこの日のグーグルのロゴマークもサッカー仕様であった)。
あった。検索結果の上から二番目に、それは輝いていた。
「弁護士ワールドカップ」。
なんだ、これは。
概要を読む前から、胸が高鳴った。
「弁護士ワールドカップ」、きっとそれは、世界の弁護士たちが数年に一度集結し、最強の弁護士を決める熱い戦い。
イングランドの弁護士が法廷のコーナーから被疑者擁護を決めたかと思えば、コートジボワールの弁護士が冤罪を叫ぶ。ブラジルの弁護士は証人を徹底的にマークし、オランダの弁護士は鮮やかに死刑を覆す。日本の弁護士は、物的証拠の不備を武器に被告人の無罪を信じる。
なんて、文系なワールドカップなのだろう。
僕は、弁護士ではない。弁護士になれるほどの頭脳など、この世に産声をあげた瞬間から、持ち合わせてはいない。
でも、あの少年時代にそんな「弁護士ワールドカップ」がムーブメントになっていたら。きっと僕は確実に弁護士に憧れていたことだろう。
こんな素敵な「ワールドカップ」があったなんて。
救われた気持ちになった、と言ってしまえば陳腐だが、だがしかし、救われた。
興奮した気持ちを抑えながら、ゆっくりとそのサイトの文面に目を通す。
「現在、世界中がワールドカップサッカーで熱狂的に盛り上がっています。しかし、実は、ワールドカップサッカーには、もう一つのワールドカップがあります。それは、弁護士ワールドカップサッカーというものです。サッカーを愛する世界中の弁護士が集まり、約10日間の熱戦を繰り広げます」
おい。
サッカー、するんじゃねえか。
もはや、この世のどこにも、僕を熱くしてくれる「ワールドカップ」など存在しない。虚しさで穴が空いた僕の心に、どこからともなく聞こえてくる「ニッポン!ニッポン!」の声援が去来する。
ふて寝で見た夢の中で、弁護士たちがサッカーをしていた。審判は、レッドカードの代わりに、六法全書を携えていた。
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