第46回:「24時間以上放置」
<第46回>
8月×日
【「24時間以上放置」】
この夏、24時間、寝た。
前にこの連載でも書いたが、僕の趣味は惰眠を貪ることだ。
しかし、いくら眠ることが好きと言っても、今までの最長睡眠時間は思い出す限り、15時間程度だったと思う。中学生のとき、下校途中に鳩の死骸を発見し、すぐさま気分が悪くなり、家の布団に飛び込み、そこから約15時間寝続けた。プリンセスのようなメンタルの時期もあったものである。
しかし、その自己ベストである15時間という惰眠記録を、このお盆に大きく塗り替えることになるとは。
スタート地点は、昼と夕方の狭間、15時だった。非常に中途半端な時間である。
コンディションは、いたって普通。特に疲れているわけでもなく、アルコールを摂取していたわけでもない。ただ、ダラダラとベッドの上で書物(『キテレツ大百科』など)を紐解きながら、鈴カステラを惰性だけで口へと運んでいた。
スタートの合図は、自身による「ふう、お腹いっぱいになっちゃったから、ちょっと眠いや」というクマのプーさんのごとき独り言。その合図とともに、枕に顔をうずめた。
始めは、軽いランニング程度の、2時間くらいの睡眠を予定していた。しかし、どうしたことだろう。次に目を覚ましたとき、窓の外では朝特有のスズメやセミの鳴き声が響いていた。時計を見たら、早朝の4時だった。
13時間も寝てしまったことに軽くショックを受けながら、近くにあったペットボトルのお茶で口の渇きを癒す。いつから部屋に放置していたのかも定かではないそのお茶は、ほんのりと酸味があった。たぶん年収が500万円ある人なら、飲まない味だろう。
その底辺の給水所で、ぼんやりと考える。
「寝すぎたなあ」
やがて、倦怠感が襲ってくる。
その倦怠感から逃げるようにして、再び毛布をかぶる。
こうして、睡眠マラソンの後半戦が始まった。
前半は無自覚のまま13時間を一気に駆け抜けたということもあって、後半は途切れ途切れの睡眠であった。
16時間を過ぎた時点で、再び朦朧と目を覚ました。すでに自己ベスト更新である。夢とうつつの狭間にて、ぼんやりと天井を眺めたのち、壁掛け時計へと視線を移す。
(あと8時間寝れば、24時間睡眠の達成か…)
はっきりと目標意識が湧いた。
(でも、やれるのか、自分…?)
誰にも褒めてもらえない喉の渇きと、腰の痛みが全身を襲っている。
(本当にやるのか…?)
自分に、問う。
(アフリカでは、今も飢えに苦しんでいる子どもたちがいるんだ…!)
寝ぼけているので、脈略のないことを憂いたりもする。
(ただひとつだけ言えること。それは、今の自分に、このベッドから起き上がる気力はない、ということ!)
こうしてラストスパート8時間の睡眠へと駆け出した。
この最後の8時間は、まさに急勾配であった。
何度も何度も細切れに目が覚め、そのたびに洗面所で顔を洗いたい欲求に負けそうになる。
特に誰かに応援されているわけでもない、孤独な戦い。
すでに脳と身体は必要以上に癒されている。人はこの挑戦を「無駄だ」と笑うだろう。それでも僕は、眠り続ける。まだ見ぬ、「惰眠の向こう側」へと自らを導くため…。
23時間を越えた辺りで、頭の中に「桜吹雪」が流れ出した。
寝汗がすごい。エアコンをつけてないためだ。しかし、いまエアコンのリモコンを探そうものなら、確実にまどろみは逃げていく。ダメだ、とにかくだらしない眠気に全身全霊を捧げるのだ!
こうして、24時間睡眠は達成され、僕は関節という関節が悲鳴を上げるのを聞きながら、のっそりとベッドから起き上がった。
ついに、24時間、寝てしまった。
驚いたことに、全く達成感がない。
そればかりか、少し自分のことが、嫌いになっている。
とりあえず、飲みさしのあのペットボトルのお茶に口をつけた。
長い間、暑い部屋に放置されていたそのお茶は、さらに悪魔的な酸味を湛えていた。
吐き出そうとしたが、時すでに遅し。「ゴクリ」と僕はそのお茶改め腐敗水を胃袋へと送り込んでいた。
すぐさま慌てふためき、手元のiPhoneで「お茶 24時間以上放置 死ぬ?」と検索した。
そういう男が、この夏にいた。そのことだけでも皆さんの記憶に留めておいていただければ、幸いである。
*本連載は、毎週水曜日に更新予定です。
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