航空機を過小評価し
艦隊決戦を志向する
戦艦大和の特攻作戦と神重徳大佐 第2回
昭和19年(1944)7月には連合艦隊先任参謀となり、日本海軍の命運を左右する作戦にかかわる。さっそくマリアナ海戦後に陥落したサイパン奪還のために戦艦で突入、砲台がわりとする特攻作戦を軍令部に具申している。レイテ湾海戦でも作戦を立案したが、このときも戦艦を海岸砲台とし、連合軍の上陸を阻む戦術まで思い描いている。作戦では突入にこだわり、戦艦を浮き砲台として使用する構想に執着した。神は砲術畑を歩き航空とは縁が薄かったこともあり、空母主体の航空機戦術を過小評価し、大時代的な艦隊決戦主義を信条にしていたと思われる。
昭和20年(1945)4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し、熾烈な地上戦が展開された。神はここぞとばかり、戦艦「大和」の海上特攻作戦を主張した。それは神がそれまでに唱えてきた「なぐりこみ戦術」の集大成とも言うべきものだった。参謀長の草鹿龍之介中将は神を諌めたが、神は草鹿がいない間に独断で豊田副武司令長官、軍令部次長の小沢治三郎中将から了承してもらった。