森博嗣 道なき未知「道を探しているだけで良いのか」
人気作家で工学博士・森博嗣が贈る珠玉のエッセィ
BEST TIMESの人気連載だった森博嗣先生の「道なき未知 Uncharted Unknown」。不可解な時代を生き抜く智恵や考え方を教えていただきました。同タイトルで書籍化され、多くの読者の心を掴みました。あれからもうすぐ5年。新型コロナ感染の流行、ロシアのウクライナ侵攻、経済格差の広がりやポリコレ騒ぎの数々・・・時代はさらに不確実で不安定で物騒になってきた、といわれています。そんな時だからこそ、森先生のお話を静かに聴いてみたい。そして世の中を落ち着いて観察してみたい。浮き足立つ時代にほんとうに大事な生きる構えとは何かを知るために・・・。あたらしい連載エッセィ「森博嗣 静かに生きて考える -Thinking in Calm Life-」が4月18日より毎週月曜日配信でスタートします!その前に、大好評だった連載「道なき未知」より4本の記事を配信いたします。お楽しみください。
道を探しているだけで良いのか
■カーナビで消える道
僕は山奥に住んでいるので、ドライブに出かけたとき、普段走っている道がカーナビのディスプレィから消えてしまうことがある。車がその道を通っているときはさすがに消えないが、大きな道に出ると途端に今まで走っていた道が消えるのだ。
怪しい道だからかもしれない。車が停車すれば見えるのだが、走りだすと消えてしまう。きっと設定で変えられるのだろうけれど、説明書を読まずに使っているからこうなる。
道があると便利だ。道は、親切に目的地まで連れていってくれる。似た表現で「レールが敷かれている」ともいうが、この表現は素晴らしい意味には使われない。なんとなく、将来が決まっていて安心な反面、面白くない、といった響きがある。
ところで、僕はほとんど車で移動をするので、滅多に鉄道に乗らないのだけれど、自分の庭に小さな鉄道を敷いている。小さいといっても普通の鉄道模型よりはずっと大きくて、ちゃんと人が何人も乗れるし、重いものも運べる。実物の4分の1から6分の1といった大きさだ。この線路は、僕が一人だけで土木工事をした。樹を避け、勾配の緩やかなところを吟味して通した。まだ完成していないけれど、今でも三百メートルほど走ることができる。
線路を自分で敷くとわかるのだが、自然の地面にはもともと道というものはない。当たり前のことだけれど、これは凄い発見だと感じた。
そして、僕が作った鉄道は、カーナビにも出ないし、グーグルの地図にも現れない。
■つい道を探してしまう
なにをしても上手くいかない、と悩んでいる人は、ほとんどの場合「道」を探している。上手くいく方法はないか、成功した人が知っていて自分は知らない方法があるにちがいない、と。しかし、そうではないと思う。成功すると、そこに道ができるけれど、それはほかの者が通っても同じような成功へは辿り着けない。本や雑誌に書いてあるノウハウというのは、参考にはなるものの、それで必ず上手くいくというものではない。どこに問題があるのかといえば、それは「道を探そうという姿勢」にある。積極性は立派だが、自分の道というのは、探すのではなく、自分で築くものだからだ。
とまあ、そういう概念的なこと、抽象的なことを書いても、ピンとこない人が多いことと思う。僕自身は具体的なものが大嫌いで、抽象的なものをいつも求めている。けれど、世の中は大半は、具体的でないと話さえ聞いてもらえないようなのだ。
たとえば「どんな仕事をしたいのか」と尋ねると、ほとんどの人は既に存在する職種を具体的に答える。さらに、自分の知った人が実際にしているものが、憧れの仕事として認識されている。そんな場合が多い。
世の中で大成功をして大金持ちになった人というのは、たいてい、それまでなかった仕事を始めた人である。誰もやっていなかったことを発想して実行したのだ。これなんかが、道のないところへ踏み出したフロンティア精神といえる。
都会には道が沢山あって、道以外のところは歩けない。それは、都会が「お膳立てされた場」だからである。同様にゲームなども、作者が想定した道しか選択できない。こういう世界では、隠された道とか、お得な情報、みたいなものが仕込んであって、その情報が価値を持ち、売られていたりする。
だから、そういう情報を買って、損をしないようにしよう、と今の人たちは考えている。都会とゲームの中ではそのとおりかもしれない。でも、現実の世界をよく見てみよう。世界には、都会でないところのほうがはるかに広い。現実はゲームのようにお膳立てされていない。それなのに「道」を探すことに必死になっていると、すぐ目の前にあるチャンスを逃すことになる可能性がある。
■僕は何様か
いきなり最初から偉そうなことを書いてしまった。僕の特徴は、空気を読まないことだ。実は、空気が読めないわけではなく、空気を読んだうえで、あえてそれに反発する方向を目指す天の邪鬼なのである。
僕は四十七歳までは国立大学の工学部に勤めていた。研究と教育が仕事だった。三十八歳のときに突然小説を書いてみたら、人から小説家と呼ばれるようになった。年収が一気に二十倍になったけれど、しばらくは研究が楽しかったので続けていた。でも、歳を取るにしたがって、会議が増えて、つまらない仕事の割合が多くなった。もう一生食べていくだけの貯金ができたので、大学を退職し、小説の仕事も新しいものはお断りしている。ようするに隠居生活だ。そういう五十を越えた年寄りがこれを書いているのである。
文:森博嗣