日本人はずっと「外の世界」をおそれている
「進撃の巨人」の壁に重なるもの
あらゆる壁で、自分たちを守ってきた
3・11の当時、爆発的にヒットしていたコンテンツが「進撃の巨人」だった。これはもう言うまでもないのだけれど、この漫画には、それまで日本人を守ってきた様々な壁が壊れて、正体のわからない圧倒的なものに容赦なく襲われるという2010年代の不安な気分が乗っている。
そもそもが他国の軍隊と、曖昧な存在の自衛軍に守られ、社会なんか変えなくてもいいし、どうせ何やっても変わんないし、日本だけは他のアジアの貧しい国とは違うんだ、という「選ばれし国民」という意識を抱えながら、国内にも何重もの壁(地域間、世代間、経済的格差、家族間、同世代間)を築いて自分を守ってきたのが日本人だったのだ。
では、壁を取り去って、他国との同盟を破棄して、軍拡するべきか? といえば、その道の先には庶民にとって地獄しかないのは歴史が証明している。
僕自身は、再びアジアの大国を目指すのは現実的ではないし、基本的には外交で、その時代その時代に起こる「大国間のパワーゲーム」をやり過ごしていく努力をすることが最も「破滅のリスク」を減らせる道だと思う。
「進撃の巨人」では、襲ってくる「巨大な怖いものたち」がいったい何者なのかがわからないまま物語が進む。
それは、壁の中で「外のことは関係ない」と生きてきた日本人の「外の世界を知らない」感じとも重なる。他国を怖がる人は、他国を知らない。他者を怖がる人は、他者を知らないのだ。
「進撃の巨人」の巨人に性器がないのは、彼らは繁殖をしない、ということで、つまり「家族のないモノ」として描かれているのだ。
巨人の捕食に関しても、生存のための切実な捕食とは違うものとして描かれている。巨人は心も自愛もない、ただただ暴力的で恐ろしい、野蛮な存在なのだ。
これはまさに、鎖国した国の人たちが想像する「他国に対するイメージ」で、外国にも家族の暮らしや自愛の精神があるという「普通の想像力」が欠如している。ただただ、外の世界は怖い、という気持ちが生んだ「化物」だ。
「千と千尋の神隠し」の中で、巨大な赤ん坊を監禁している湯婆婆が、「お外は怖いよ」と言って赤ん坊を脅していたのも、これに重なる。
「進撃の巨人」では、壁の外に出て行く「調査兵団」が英雄として扱われている。これは今の時代に、壁の外(外国)に行くような勇気のある人はすごい人ということなのだ。