「どんな子どもだったんですか?」古市憲寿さんに聞く!(15)
学校の「クラス」という閉鎖性に馴染むことができなかった
勉強ができるんだから文句を言われる筋合いはない
学校があまり好きではなくて、小学校中学年の頃は不登校気味でした。“クラス”という閉鎖性な仕組みになじめなかったんですよね。あれって、40人くらいの児童が無作為に選択されて、毎日同じ場所で顔を合わせるシステムで。その中で無理やりにでも友達を見つけないと過ごしにくいじゃないですか。ほかの選択肢もなく強制的にそのクラスで生きていかなきゃいけないことに、当時から違和感を覚えていました。
あと、身体を動かすことが好きじゃなかったので、体育が苦手でした。苦手というよりもイヤで、基本的に見学ばかりでした。
そもそも、体育って無駄な部分が多くないですか? 授業ではサッカーやバスケなどの球技や、とび箱や鉄棒などの器械体操をやらされますよね。これは若いときはできるけど、80歳になったら何の役にも立たないわけじゃないですか。だったら、ゴルフとかヨガとかフィットネスとか、正しいジョギングやウォーキングの方法とか、一生できることを教えてくれたらいいのになって思います。
ある時期には、学校に行かない日も多かったんですが、テストの成績はよかったんです。勉強は好きで、春休みの時点で次年度分の教科書の読み込みとワークを終わらせてしまっていました。だから「4月から学校に行く意味あるの?」って思って、余計に学校に行かなくなってましたね(笑)。
子どものころの僕の扱いに、親や先生は困惑していたと思います。やることはやって成績もいいわけですから。もし僕が勉強のできない子どもだったら、大人たちはもっと叱りやすかっただろうし、僕も自信をなくして黙って学校に行っていたのかもしれません(笑)。普通の公立の小学校なので、勉強ができたと言ってもたかが知れていますけど。あの頃は「勉強ができるんだから文句を言われる筋合いはない」って開き直っていたんだと思います。
当時から文章を書くのは好きで、作文をほめられることは何度もありました。市のコンクールに表彰されるといったレベルでしたけど。自分にもできることがあるという自意識は結果的に大事だったんじゃないかなと思います。