誰も教えてくれない、「グローバル化」の本質
現在観測 第34回
そこで英国名門大で経験を積み、現在地元である鹿児島を中心に次世代を育てながら、自身も社会課題を学術、ビジネスの両面で解決すべく活動している社会起業家、岡本尚也氏に頭と肌で感じた「グローバル化」の本質とは何か、ご寄稿いただきました。
国の政策や成長の方向性は一つの言葉に集約されることが多い。明治維新後に行われたのが、「西洋化」であり「近代化」と呼ばれるものであった。戦後、1970年代以降多く使われていた言葉は「国際化」であった。当時の日本はGDPで世界第二位となり、「Japan as number one」 等に見られるように海外の学者やメディアから、教育面や会社組織に関して称賛を浴び、戦後に失われた自信を取り戻した時期でもある。実際に統計数理研究所が行っている「日本人の国民性調査」、NHK放送文化研究所が行っている「日本人の意識調査」では、「日本人は他の国の人々よりも優れていると思う」という意見が過半数を大きく上回っていた。
そして今。「グローバル化」という言葉がスローガンとして使われている。2009年頃から新聞等メディアに「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになり、「グローバル人材」なるものの育成が文部科学省(スーパーグローバルハイスクールやユニバーシティ)や経産省、官邸主導で行われている。
私は、日本の大学・大学院で学んだ後イギリスにて、物理学博士号、現代日本学の修士号をとるべく約5年間留学を行った。そして今、地元鹿児島にて社会課題・教育・ビジネスをキーワードに活動を始めている。今回、このような執筆の機会を頂いたため、分かるようではっきりしない、「グローバル化」というものはいったいどういう現象であるのか、そして、その言葉だけだと対極に位置するように見える「ローカル化」との深い関連について書きたいと思う。
◆国際化の時代とグローバル化の時代の日本
国際化とグローバル化の違いは何か?
よくお話をさせて頂く際に聴衆の方々にお聞きするのだが、皆さん答えに困る。日頃使い慣れている言葉でも、何となくイメージで使っている言葉が多いだろう。少なくとも「ヒト・モノ・カネが国境を越えて行き来する」という意味では同じである。一方で、国際化は欧米や日本が中心となって世界の経済・政治・安全保障に影響を与えているが、グローバル化では、これまでさほど影響力のなかったアジア(中等を含む)の国々、アフリカの影響が相対的に大きくなっている等、解釈はたくさんある。
ここでは国際化とグルーバル化の日本での受け取り方に注視して述べたいと思う。国際化という言葉は1970年代後半から1990年代初めによくスローガンで使われていた言葉だが、この時期の日本の立ち位置は、その際の「国際教育」の文言等から読み取る事が出来る。前述の通り、この時期日本人が戦争で失った自信を回復した時代であるため、日本は世界を牽引する先進国という立ち位置が示されている。オイルショックも他の国と比較してうまく乗り切った日本は、他のASEAN諸国や他のアジアの国々に対して独占しているアメリカの輸出市場を開放し、発展に貢献するべきとの文言がある。もちろん、日本資本が海外進出を始めた時期でもあるので、成長を緩める気は毛頭ないのだが、日本とASEAN、アジアの国々との関係は、世界を牽引する日本にとって援助対象であった(東京大学社会科学研究所,現代日本社会 7: 国際化等を参照)。
しかし、グローバル化の時代、その立場は大きく変化している。例えば「グローバル教育」に関連する政策文書によると、日本は中国、インド、シンガポール、香港、韓国等の国と地域と比較してグローバル化が「遅れている」と述べられている。世界を牽引する先進国というよりも、自国の世界的な位置の変化への焦りが多くみられる。海外留学生数の減少によって「内向き」等と言われるように(今は少子化の時代なので学生の絶対数が減っている。また留学の定義が曖昧)、比較的短絡的に述べられているが、明確なのは、とても似た「国際化」と「グローバル化」という概念でも日本の捉え方は大きく異なっているという事である。