着手から埋葬まで20年! 大仙陵の作り方を徹底解剖②
大仙陵はいかにして造られたのか? 第3回
■大仙陵が造られた工程をCGで再現!(後編)
(7)近くの斜面にて窯で埴輪を焼く
埴輪の製作のため、粘土の掘削から成形、焼成などの工程作業が行われ、古墳近くの斜面を利用して多くの窯が築かれた。埴輪の大半は円筒(えんとう)埴輪で、この他に各種の形象(けいしょう)埴輪(家、人、動物などの形を持つ埴輪)が造られた。また、焼成で使う薪も大量に運び込まれた。
(8)斜面に石を差し込んで積んでいく
墳丘の盛り土が完成していくと、今度は斜面に石を差し込んで並べていく。石の大きさは拳2個分程度が主体であったろうが、一番下の基底や、作業単位の基準となるところにはそれよりも大きな石が使われた。石は掘削土の中から、あるいは周辺から調達された。
(9)後円部中央に穴を掘って、石棺を入れる
大王の棺は後円部に埋葬された。完成した後円部ではその中央を掘削して内部に排水施設を設け、長持形石棺を納めた。石棺の周囲は石を積み上げて壁体を造る。その裏側には大量の裏込石(うらごめいし)が入れられ、大きな板状の天井石も加工が施され用意された。
(10)石槨の周りを副葬品で飾る
石棺の内部、あるいは石棺の周囲には豪華な副葬品が多数置かれた。鏡、剣、玉をはじめ多くの鉄製の武器、武具、馬具、農具などの道具、あるいは土器、ガラス器などもあったのかもしれない。有機質のものもたくさんあったことだろう。
(11)埴輪を運んで並べる
焼き上がった円筒埴輪は、盛り上がった墳丘の各テラスに運び込まれ、溝状に掘られた所へ高さを揃えながら連続して樹立された。また、円筒埴輪5本に対して1本の割合などで朝顔(あさがお)形埴輪が配置された。最終段階には造出(つくりだし)(古墳本体からつき出した祭祀の場)や墳頂部などに形象埴輪が配置された。
(12)20年の歳月をかけて、ついに完成
三重の濠には、自然と雨水が溜まった。参考であるが、『日本書紀』によれば、仁徳天皇87年1月16日崩御、同年10月7日埋葬と見え、寿陵として着手してから埋葬までほぼ20年かかっている。また、試算では15年8カ月以上であり、考え方によっては30年を超えることも想定できる。
《大仙陵はいかにして造られたのか? 第4回へつづく》
※この記事に掲載されている画像の無断転載を禁じます。