オリンピックの聖火リレーはヒトラーが始めた!
古代オリンピックには聖火リレーはなかった。
<聖火リレーは古代オリンピックにはなかった>
意外なことに、近代オリンピックの重要なイベント聖火のリレーは古代オリンピックにはなかったそうだ。始まりは何と20世紀になってから、しかもきっかけはドイツのヒトラーだったというから驚きだ。
古代オリンピック発祥の地であるギリシャの都市オリンピアには、古代ギリシャとローマのすべての聖地と同じように「永遠の炎」が存在したといわれる。プリュタネイオン(迎賓館)と呼ばれる建物の中で、炉の女神ヘスティアが護っていた。生け贄を捧げるとき祭壇にくべる火はこの炎から採火された。またアテネなど地元の祭りなでで聖火リレーを行うところもあった。全裸に王冠をかぶった若い男性が聖火の燃える葦のバトンをリレーして、アテネの南にあるピレウス港からアクロポリスのプロメウスの祭壇までまで運んだ。聖火は確かにあったが古代オリンピックでの聖火リレーはなかったのだ。
<ヒトラー政治のプロパガンダに利用された聖火リレー>
オリンピックで聖火リレーが始まったのは、1936年第11回大会ドイツベルリン大会からだ。この大会の運営をヒトラーから任されたのは、ドイツオリンピック組織委員会のなかで力を持っていたアーリア人のカール・ディーム。
彼は「オリンピック発祥の地であるギリシャのオリンピアで採火した聖火を、リレー形式で7カ国を縦断して、開会式当日にベルリンのメーンスタジアムまで運ぶ」という2つの異なる宗教儀式を巧妙に組み合わせて演出したのだ。
ヒトラーは、聖火リレーの下見にギリシャのオリンピアからバルカン半島を北
上。ベルリンまでの約3,000kmの各国の道路や地形を調べさせたそうだ。そして、この聖火のルート上のブルガリア→ユーゴスラビア→ハンガリー→オーストリア→チェコスロバキアの各国を1人1kmずつ3,075人の聖火ランナーが走った。このトーチリレーは、ドイツの若者をナチ党へ惹きつけるためのプロパガンダにぴったりだった。彼らは、ナチスドイツの威厳を世界に知らしめる目的でも完璧なイベントだと考えた(すべてのトーチにはドイツの兵器製造会社クロップスのロゴが入っていた)。
ドイツ国内ではトーチリレーの模様の全行程をラジオで中継し、ベルリン大会記録映画としてレニ・リーフェンシュタール監督に撮らせた。この映画「オリンピア」(民族の祭典・美の祭典)は世界中に配信された(日本でも興業トップとなった)。ギリシャ人ランナーが聖火を掲げ、夕暮れ時にエーゲ海の海岸を走るシーンは世界中の人々を魅了し深く記憶に焼き付ついたようだ。
<利用された聖火リレーのルート>
そして、聖火リレーのルートは、1939年に勃発した第二次世界大戦においてドイツ軍参謀本部の兵要地誌調査に悪用される。ナチス・ドイツ軍は聖火リレー道を、逆方向で侵攻していったのだ。
ヒトラーはまた、ナチ党旗のハーケンクロイツを初めてドイツ国旗として使用し、会場の内外に氾濫させるなど政治色の強い大会を催した。そして、古代ギリシャを偲ぶように、優勝者には金メダルのほかオリーブと樫の苗木を与えたそうだ。
聖火リレーの始まりは実に残念なものではあるが、近代オリンピックが「世界平和を究極の目的としたスポーツの祭典」であることを改めて考え、21世紀のオリンピックが素晴らしいものであり続けることを心から願う。
「ギリシャ記」パウサニアス著 飯尾 都人 翻訳 1991龍渓書舎
「驚異のオリンピック」(THE NAKED OLYMPICS)トニー・ペロテット著 矢羽野薫 翻訳 2004 川出書房新社「古代オリンピック」 桜井万里子・橘馬弦 編 2004 岩波新書
「古代ギリシャ遺跡事典」 周藤由幸・澤田典子 2004 東京堂出版
「ソークラテースの思い出」クセノフォーン著 佐々木 理 翻訳
「ヒトラーへの聖火—ベルリン・オリンピック」 (シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション) ダフ ハート・デイヴィス 岸本完司訳
「ベルリン・オリンピック1936—ナチの競技」デイヴィッド・クレイ ラージ 高儀 進訳