古代オリンピックは全裸で行なわれた!
戦争は中断。だが、女性は観戦さえ許されなかった
古代オリンピックは戦争も中断して開催したスポーツの祭典
「古代オリンピック」の祭典競技第1回目が開催されたのは、記録によると紀元前776年とされる。実際にはこれより以前から行われていたらしく、正確な起源は不明だ。競技に参加できたのはギリシャ人の男性のみ。非ギリシャ人や奴隷、女性たちの参加は許されていなかった。既婚の女性は観戦さえも許されていなかった。
そして、古代オリンピアの祭典競技の最大の特徴は、ポリス間の戦争を中断して開催されたこと。開催期間中の前後約1ヶ月間(最終的には3ヶ月間)は、ギリシャ全土で戦争の停止が布告され、各ポリスからオリンピアに向かう観戦客の道中の安全が保証されていた。120年の間に世界大戦で3度中止された「近代オリンピック」とは違い、1169年間も続いた「古代オリンピック」は、ポリス間での紛争や戦争で中断されることは1度もなかった。
古代ギリシャでは、オリンピア競技会以外にもピュティア競技会、ネメア競技会、イストミア競技会を含めた4大競技会があったそうだ。だが、最古の歴史を誇り、ゼウスを神域とするオリンピア競技会は別格で、古代ギリシャ人にとって実に特別なイベントだったのだ。
娼婦たちが5日間で1年分を稼いだ祭り
そして競技会場周辺には、観戦者を当て込んだ商人や旅芸人がギリシャ全土から集まった。蚤の市のような日用品や食べ物はもちろん、予想屋や詩を朗読する者、講談師、なんとワインを飲ませる元祖スポーツバーもあったという。娼婦の集団も見られ、彼女たちはオリンピック開催の5日間で1年分を稼いだといわれた。まさに4年に一度のお祭りだったのだ。
勝負事が大好きな古代ギリシャ人
オリンピックがここまで盛んだったことには、古代ギリシャ人の性格もどうやら関係しているようだ。彼らは何事においても勝負ごとが大好きだったのだ。叙事詩人ホメロスが『イリアス』や『オデュッセイア』で描く英雄は、戦場で手柄を競い、息抜きはスポーツであった。そして、亡き戦友の葬式にも盛大な競技会を催して手向けた。ギリシャ悲劇や喜劇は、作家がしのぎを削るコンクールで磨かれ誕生した。美少女、美青年のコンテストでは美しさを、竪琴や笛のコンクールではその技倆が競われた。古代ギリシャ人にとっては、大勢の陪審員の前で原告と被告が争うのも一つの勝負。多数決の民主政も政見の勝負、多数決の勝負だったのだ。
新参兵や市民は裸で鍛錬を重ねた
人々が競技する様子は、彫刻や壷絵などに描かれることで、現在にも伝わっている。古代オリンピックを表した美術品の幾つかが、現在、東京国立博物館で開催中の特別展「古代ギリシャ展 —時空を超えた旅—」でも実際に観ることができるので、ぜひ、一度観て欲しい。鍛え抜かれた美しい肉体と、その身体から繰り出される技の数々……。古代ギリシャ人の熱い想いが、彫像や絵を通して伝わってくるだろう。
競技者の多くが全裸であることに驚くかもしれない。ボクシングの練習場をジムと呼んでいるが語源はギリシャ語のギュムナシオンに由来する。古代ギリシャではギュムナシオンとは学校を指し、本来は市民の鍛錬の場で、とりわけ新参兵の教練を行う施設だった。ギュムナシオンは「ギュムノス」という語に由来し「裸」を表す形容詞だ。新参兵も市民も裸で鍛錬を重ねた。
前5世紀半ばペルシア戦争史を描いた「歴史」の著書ヘロドトスは「ギリシャの外では、男でも大概他人に裸を見られるのを恥ずかしく思う、女ならばなおさらだ」と記している。
ほとんどの競技が全裸で行なわれた理由
今回のギリシャ展でも「赤像式パナテナイア小型アンフォラ ボクシング」
(必見!)では裸で戦う姿が描かれている。けれども古代オリンピック競技は褌(ゾマ)で恥部を隠して競技に出場した記録もあり「アッティカ黒像式ピュクシス 戦車競走」(必見!)の選手は裸ではない。
古代オリンピックが裸になった起源は諸説入り乱れているが、総合すると、前8世紀後半から7世紀半ばの間に、褌がもつれて選手が落命したという伝説や褌のない身軽なスタイルで優勝を飾ったという伝説もある。壺絵に裸で表現された神を除き確実に競技者だと判る裸体は前650年頃に現れる。これ以降も褌着用の選手の画像は登場するが、輸出用の壺に描かれたものばかりであり、褌を加筆したものもあるという。
なぜ裸体で競技したのか? 裸体競技の起源が伝説となっている今となってはわからないが、裸が肉体美を最も強調できる手段であったことに異論はなさそうだ。
女性関係にだらしなかったゼウス神
古代オリンピックの象徴であった、神話にも登場するゼウス神。オリンポスの12神の神様であり、人々の神様でもあったゼウスは全宇宙や雲・雨・雪・雷などの気象を支配していた。
全知全能である一方で、実に親しみやすいキャラクターだったことを紹介しておこう。特に、女性に関する道徳や論理に疎く、だらしなかったようだ。最後の正妻ヘラ(実の姉でもある!)と結婚するまでに、17人の女性と浮き名を流し、結婚は4回経験。神にも人間にも愛人がいて、子供も産ませている。
現在の日本人の貞操観念とは大きくかけ離れているが、古代ギリシャ社会ではむしろ、英雄にはごく当然のこと。「英雄色を好む」ことは、全知全能の神ゼウスに近づくことであった。
古代オリンピックはある意味、ゼウスのような精力絶倫の強者を選出する競技会という名の戦いでもあったようだ。ギリシャ美術の男性彫刻像が、筋肉隆々のマッチョな姿で表現されているのも、当時の人々の考えを反映してのこと。理想の肉体美の姿はすなわち、強い男の象徴だったのだ。
競技会の目玉は戦車競争より注目の、意外なあの儀式
さて、5日間にわたって繰り広げられた古代オリンピックの祭典競技会の目玉は、何だったのだろう。
それは、初日に行われた徒競走や最も人気の高かった2日目の戦車競走(映画『ベン・ハー』のクライマックスシーンで忠実に再現されている。)でも、時には命尽きるまで戦ったレスリングなどの競技でもなく、3日目に行われたゼウスの祭壇に雄牛100頭の生け贄を捧げる儀式だった。
古代ギリシャでは、動物の生贄奉納の儀礼は神への崇拝を表す基本的な行為で、戦闘や航海、結婚式、選挙、商取引など神の加護を求める際には必ず行われていたという。古代オリンピックが単なるスポーツの祭典ではなく宗教的な意味を持つ、主神ゼウスを称える祭典・奉献競技の一環だったことを示している。
日本でも神社の境内で行われるお祭りや「奉納相撲」があることを考えると、何となく理解できそうだ。
個人とポリスの名誉をかけて闘われたオリンピックの優勝商品は?
最後に、優勝賞品が何だったのかを紹介しておきたい。商品は、オリーブの冠のみ。男たちは、「金のためではなく、ただ卓越性のみ」を求めて戦うことがまた、誇りでもあった。そして、優勝者は出身地のポリスを超え、全ギリシャに響き渡る名声と栄誉を手中にした。尤も、実際には故郷のポリスで生涯暮らしていけるだけの身分や生活を得ることができたそうだが……。
古代オリンピックの終焉
紀元前146年、ギリシャはローマ帝国に支配されるが、その時代にも古代オリンピックは継承された。もともとギリシャ人以外は競技には参加できなかったオリンピックだが、ローマ時代には地中海全域の国から参加できるようになる。
だが、392年、テオドシウス皇帝の命令と元老院決議で、キリスト教以外の宗教行事は禁止。異教に当たるということで、オリンピア信仰の神像や神殿は破壊された。因みに、破壊行為は手間隙に一苦労ということで、頭部を破壊するより象徴的な鼻が削られた。鼻の欠けた彫刻物が多数見られるのはこのためである。
そして、翌年393年、第293回をもって古代オリンピックは終焉した。
「ギリシャ記」パウサニアス著 飯尾都人 翻訳 1991龍渓書舎
「驚異のオリンピック」(THE NAKED OLYMPICS)トニー・ペロテット著 矢羽野薫 翻訳 2004 川出書房新社
「古代オリンピック」 桜井万里子・橘馬弦 編 2004 岩波新書
「古代ギリシャ遺跡事典」 周藤由幸・澤田典子 2004 東京堂出版
「ソークラテースの思い出」クセノフォーン著 佐々木 理 翻訳
日時/9月19日(月•祝)まで
休)月曜日
※8月15日、9月19日は開館。
時間/9:30〜17:00
※土日•祝は午後6時まで。
※金曜日および8月の水曜日は午後8時まで。
※入館は閉館の30分前まで。
場所/東京国立博物館 平成館(東京都台東区上野公園13-9)
観覧料/一般1600円、大学生1200円、高校生900円(いずれも当日券)
※「長崎展」が10月14日(金)〜12月11日(日)
「神戸展」が12月23日(金•祝)〜2017年4月2日(日)に開催予定。