小笠原満男と本田圭佑の「とんでもない発想」
――劣等感を持った僕が生き残るために教えられたこと
「現役目線」――サッカー選手、岩政大樹が書き下ろす、サッカーの常識への挑戦
■「当たり前」なプレー、考え……その捉え方が重要
前回書いたコラムの中で、「サッカーにおいて常識といわれていることはピッチの中の常識とイコールではない」というお話をしました。今日は僕個人にとっての「常識」、「当たり前」についての考え方をお話ししたいと思います。
僕がキャリアの中で教わってきたことはサッカーですが、そのサッカーを通して様々なことを学んできました。いろんな経験をし、いろんな選手と出会い、それを自分なりに解釈しながら歩んできました。
その中で僕が自分自身を振り返ってよく思うことがあります。それは「当たり前(常識)」という言葉を使った二つの大事なことです。
一つは「当たり前を当たり前のようにできること」の大切さ。
もう一つが「当たり前を疑うこと」の大切さです。
僕は13年前にプロサッカー選手になりました。サッカー選手になれるとは、本人も周りも誰も思わなかった男です。僕には劣等感がありました。だから、人にはないもので自分にできることを探していました。僕は体が大きいのでヘディングや対人プレーといったフィジカルを生かしたプレーが持ち味だと思われがちですが、それだけで生き残れるほどの突出した才能は持ち合わせていませんでした。
才能がないなら、やれることはそう多くありません。当たり前のことを当たり前にやること。そして、それを続けることで差を生み出そうと考えました。
子供が歯を磨くのを日課にしていくときのように、当たり前が当たり前になるまでは苦痛に思うこともありました。しかし、それらを当たり前にできるようになれば、それらも一つずつ、僕のただの日課になりました。
常にいいポジションをとり続けること。足を最後まで動かすこと。最後まであきらめないこと。準備を怠らないこと。いつも同じ気持ちで試合に挑むこと。
僕がこの世界で生き残ってこられた要因は、ヘディングではなく、それを続けてきたことにあると思っています。