「なぜ死に魅入られてしまったのか?」
プリンセスたちと摂食障害の深い関係。
摂食障害になった女性たちとの30年余りの交流の軌跡が話題の書に!
「瘦せることがすべて」。そんな生き方をする女性たちがいます。
いわゆる摂食障害により、医学的に見て瘦せすぎている女性のことですが、そんな彼女たちを「瘦せ姫」と呼ばせてもらっています。
彼女たちはある意味、病人であって病人ではないのかもしれません。
というのも、人によってはその状態に満足していたりしますし、あるいは、かつてそうだったことに郷愁を抱く女性や、むしろこれからそうなりたいと願う女性もいるからです。
一方、歴史上のプリンセスたちのなかには死に魅入られ、食を拒む姫たちが多く登場します。
いま話題の書『瘦せ姫 生きづらさの果てに』の著者・エフ=宝泉薫氏が、「プリンセスと摂食障害」の深い関係について語ります。
死に魅入れられたプリンセス
「宮沢りえ以前」に登場した瘦せ姫。そのなかでも世界史レベルで名高いのが、オーストリアの皇妃(のちに皇后)エリーザベトです。現代の日本では、宝塚歌劇団のミュージカル『エリザベート』で親しまれていますが、ここでは愛称の「シシィ」で呼ぶことにしましょう。
今から150年前、シシィはこんなダイエットに熱中していました(註1)。
「朝にラスクとハーブティー、昼に子牛の肉を絞った汁のみ、夕に生卵、ミルク、ワイン、一日7時間運動し、夕方に体重を計って、増えていれば夕食を抜く」
こうした生活により、身長172センチ、体重50キロ弱、ウエスト50センチ(40センチ台とする説も)という体型を維持。当時は今ほど瘦せ礼賛(らいさん)の風潮ではなかったものの、天賦(てんぷ)の美貌もあいまって、国民から高い人気を得ます。
その一方で、ザッハートルテなどのスイーツを大量買いしたり、会食をドタキャンしたり、栄養失調で倒れても運動をやめなかったり。彼女が世界最初のダイエッターとも、世界最初の摂食障害患者とも評されるゆえんです。
そして何より、その瘦せ姫らしさがうかがえるのが、自らの死を願うほどの心の闇でした。幼時から近親者の死に多く出会い、10代で皇后になってからは窮屈(きゅうくつ)な生活にストレスを抱えていた彼女は、こんな言葉を残しています(註2)。
「私はカモメのように漂っていたい 自由に、波の上を 私の住まいはどこにもない」
「狂気は生より真である」
「死を思うことは、心を浄化し、庭で雑草を抜く庭師の役を務めてくれます」
低栄養や過活動で自らを追い込むことも「死を思うこと」に通じる効果をもたらしていたのでしょう。また、居場所のなさをまぎらわそうとしてか、旅ばかりしていました。