藤堂家、黒田家が愛用した桃の形をした兜って?
名将甲冑大全 第13回
桃形兜(ももなりかぶと)は、鉄張の形象兜いわゆる変わり兜としては、最も早く作られた。鉢の形を桃の実に似せていることがネームングの由来である。桃形兜は武器の直撃に対して緩衝効果があること、軽くて活動的なこと、量産が可能なこと、などから備具足の兜に多く用いられている。奈良地方の甲冑師・春田派が得意とし、西国大名特に、立花家中・藤堂家中・黒田家中が使用した事で良く知られており、遺品も多い。
また、武将でも黒田長政が着用した大水牛の桃形兜はあまりにも有名である。桃形兜の記述は、『増補家忠日記』に「黒糸ノ鎧ニ桃ノ冑ヲ着シ」と見える。松平家忠が関ヶ原の合戦の前哨戦において、桃形兜を着用し奮闘した事も記されている。
写真1は左右2枚ずつ、四枚張りで、下部は水平に打ち曲げ一枚シコロを付す。眉庇は狭く垂直に仕立てられ、二本角元を打った古桃形兜で全体を黒漆塗とする。鉢は膨らみをもたせ先端が急に狭まり、頭高になっている。製作年代は室町末期を下らない現存極めて稀な一領である。
写真2は、立花家中・藤堂家中・黒田家中などの備具足に添う桃形兜と同じく備具足の兜であるが、使用家中は不明である。左右2枚ずつ4枚、腰巻、眉庇を含め六枚張りを金箔押しとし、一枚シコロを付した桃形兜である。鉢は頭高に左右はスマートに作られ、南蛮風の趣が見られる。製作年代は豊臣政権下は下らない貴重な一頭である。
文/伊澤昭ニ(甲冑研究家)