栗山英樹が語る「采配」の「微妙なニュアンス」。監督が手を打つべきときとは?
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は21日(日本時間22日)、米マイアミのローンデポ・パークで決勝が行われ、日本が米国を3-2で下し、2009年第2回大会以来14年ぶり3度目の優勝を飾った。
■「勝つとしたらどういう手を打つのか」を考える
「人生の運」を全部使っている感じ、とでも表現すればよいのだろうか。
試合中は、とにかく後手に回らないことだけを心掛けていた。そして、「どういう手を打ったら勝てるのか」ではなく、「勝つとしたらどういう手を打つべきなのか」をつねに考え、感じたことを感じたようにやった結果が、客観的に見れば「はまった」ということになる。
ただ、「打つ手が、はまったから勝った」というのは少し違っていて、「勝つために、はまらなければならない手を打った」だけなのだ。
なんだかややこしいことを言い出したな、と思われるかもしれないが、このニュアンスの違いを汲み取っていただきたい。
勝てば日本シリーズ進出が決まるクライマックスシリーズの第5戦(2016年当時)、故障によって戦列を離れていた主力メンバーが再び揃い、ベストメンバーに戻っているホークス相手に、序盤から4点差を追う展開で勝ち切るというのは、それこそ打つ手がすべてはまらなければ勝てるわけがない。
0対4から勝つことを前提に、ここから勝つにはどういう展開になるのか、そのためにはどんな手を打てばいいのか、それだけを考えていた。
思いきった手でもなんでもない。勝つための手を打っただけなんだから、それは普通のことだ。そうなれば勝つし、そうならなければ勝てない。
だから、「はまった」というギャンブルが的中したような感覚はあまりなく、勝つんだったらこうなるしかない、と思ったことが実際にそうなっただけ、というふうに受け止めていた。
当たり前のことだが、野球は選手がやるものだ。投手が抑えて、野手が守って、打者が打てば、それだけで勝つ。
でも、毎日試合をやっていれば、それだけでは勝つのが難しいケースも出てくる。そんなとき、勝つとしたらどういう手を打つべきなのかを考える。それは監督の仕事だ。
それがその通りになったら、勝つことがある。だったら、監督は手を打たなきゃいけない。
そして、もしその通りになって勝ったら、それは選手のおかげ。だって、やったのは選手なんだから。
あの第5戦、1回表にいきなり4点取られた。なのに、中盤からは完全にこっちのペースになっていた。
あれをもう一回やれと言われても、たぶん無理だ。
勝つときというのは、そういう流れができているはずなんだと思う。
野球の神様は、はじめからこちらが勝つと決めている。それを邪魔しないように、邪魔しないように持っていくしかない。
自分が決めているんじゃない。野球の神様がそういうふうになるようにしているのだ。
人は余計なこととか、欲が出てきたときに違うことをする。そうしないようにするだけだ。
(『「最高のチーム」の作り方』より抜粋)