「城の搦め手」って何?
外川淳の「城の搦め手」第1回
搦め手とは、大手の反意語で城の裏口を意味する。現代でも、交渉のときなど、「今回は搦め手から攻めよう」というように活用されている。このブログで搦め手という城郭用語を利用したのは、次の3つの意味合いがある。
1.城には、大手から本丸、そして天守へというルートだけではなく、搦め手をはじめ、隠された見所がある。
2.城の歴史には、よく知られている通史だけではなく、興味深い裏話が多数、秘められている。
3.城が未来へと受け継がれるには多くの課題があり、城の現状を裏表さまざまな視点から見直す。
ちょっと固めにコンセプトを説明すると、こんな感じになった。基本的には、最近、攻めた城の感動したところ、もしくは城の歴史を紹介しながら、ほかとは一味違った情報やイメージを提供できればと思う。
ちなみに、お城好きは、城を訪れることを「攻める」と表現する。類は友を呼ぶともいうが、ここでは、知人の城にはまった人たちについても、ちょくちょく、ご登場いただくこともあるかもしれない。どこまで公表してよいか、現時点では迷うところではあるが、城郭研究の世界の現状についても、お話できればとも思う。
また、搦め手という言葉には、城から派生する歴史や旅の話も「からめて」という拡大解釈もありかとも思う。
私は日本全国の台場のうち、痕跡が残されるすべてに足跡を残し、縄張図を作成することをライフワークとしている。まず、台場については、城の一種であるから、「こんな台場に行きました」という探査報告であれば、抵抗がないだろう。
ライフワークというと、日本全国にある銭湯(公衆浴場業生活衛生同業組合加盟のお風呂屋さん)のすべての外観を撮影するため、東奔西走している。現時点では、4669軒撮影、そのうち2209軒入浴。残された未撮影の銭湯は約300軒。昔ながらの銭湯は、城の天守や櫓に似ているとう強引な論理により、隠し味程度に銭湯の話も登場することをお許しいただきたい。
では次回から、本編スタートします。お楽しみに。