地震と闘い続ける城―仙台城編
外川淳の「城の搦め手」第4回
前回に引き続き、災害と城にまつわる裏話を紹介したい。
現状では、東日本大震災における文化財や史跡への被害が大々的に報道されることはない。しかしその実、仙台城は、大手門近くや本丸北西側の石垣が崩壊するという被害を受けた。
私は、城郭研究の世界の片隅で生息することもあり、たまたま、この情報を入手することができた。当然のことながら、石垣の崩落事態は城好きとして、悲しむべきことである。
ただし、石垣の断面を見るためには貴重な機会でもある。本来であれば、仙台に急行したかったものの、交通網の寸断状態によって時間が経過。ようやく、仙台まで日帰りで往復したときには、大手門近くの石垣崩落現場は、写真のようにブルーシートで覆われていた。
10年ほど前、ほぼ同じアングルから撮影した石垣の写真を見ると、すでに危ない状態にあったことがわかる。
写真中央から右手にかけては、石垣の傾斜面が本来よりも、数10センチ単位で前方にせり出していた。
仙台城は、伊達政宗が築城して以来、地震と戦い続けたともいえる。仙台城と地震との関係を年表風に追うと、このようになる。
慶長6年(1601)築城開始。翌年には一応の完成。
元和2年(1616)地震発生。建物崩壊。第1期の石垣が崩れ、第2期の石垣が建設。
正保3年(1646)地震発生。建物崩壊。
寛文8年(1668)地震発生。第2期の石垣が崩れ、第3期の石垣が建設。
以後、明治維新まで8回前後の地震が記録されたものの、第3期の石垣が建設されてから、大きな被害には至っていない。
仙台藩は、築城当初に築いた第1期石垣が地震で崩れると、第1期石垣を下敷きにして第2期石垣を建設。さらに第2期石垣が崩れると、第3期石垣を建設し、ようやく耐震性の高い基礎を築くことができたのだ。
だが、頻発する地震により、第3期の石垣も亀裂や膨らみが生じた。そのため、本丸周辺の第3期石垣については、平成9年(1997)から解体と発掘調査が開始され、7年後には修復工事が完成。平成の第4期石垣は、今回の地震では大丈夫であった。
しかし、崩壊した大手門や本丸北西部の石垣の復旧など、仙台城と地震との戦いの歴史は、いまだに続いているといえよう。