織田信長こそ権威主義的な戦国時代の模範生?
大間違いの織田信長③信長は権威をどう使いこなしたか?
戦後民主主義のヒーローとしての信長の真実の姿は歪められている?真実の信長像を知ることで、新たな日本史の歴史観が構築される! 気鋭の保守の論客倉山満が挑む新境地! .絶賛発売中の『大間違いの織田信長』(KKベストセラーズ)を上梓した、倉山満氏が人間信長の魅力に迫る!
斯波家の家来だった織田家
織田信長はどうだったか。そういう〝ヌルい〟時代を終わらせた英雄ではないのか?
まったく違います。説明しましょう。
織田家は、大名の斯波(しば)氏に仕えていました。斯波氏は室町幕府で管領を務めることができる、三管領家の筆頭です。格付けでは、細川氏よりも上です。尾張(愛知県西部)の守護を務めており、織田家は斯波家の家来でした。織田家は三奉行と呼ばれる三つの家に分かれていました。めんどく さいので、織田一号、織田二号、織田三号で(笑)。
信長の家系は、織田三号家でした。ちなみに本当は、弾正(だんじょう)の忠家(ちゅうけ)というのですが、そんなマニアックな解説は後回しにしてよいので、とりあえずここは三号家でお願いします。
この斯波さんが、全然頼りない。加えて、織田一号、織田二号も全然役に立たない。というのが、信長が織田三号家を継いだときの、尾張の有様でした。
そこで信長は、「じゃあ、織田三号の私が頑張らせていただきます」と言って斯波さんの命令で織田一号・二号を潰していき、最後に斯波さんがあまりにも我が儘ままで聞き分けがないので「じゃ、尾張を出て行ってください!」とやりました。こうして尾張統一は完成です。
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