能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【前編】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【前編】

ぶらり大人の廃線旅 第21回

1:200,000地勢図「七尾」昭和62年編集+「輪島」平成19年修正+「富山」昭和53年要部修正に駅名および一部路線を書き込み。

奥深い能登を走る「のと鉄道」

 能登半島は奥が深い。現在では金沢の北に位置する津幡(つばた)駅から北上、能登の中心都市である七尾(ななお)を経て穴水(あなみず)まで合計87.5キロがJR七尾線および「のと鉄道」によって運行されている(両者の関係は複雑なので省略)。かつて列車は北海岸の輪島まで走っていたが、現在では穴水で切れているため、金沢から輪島へ行く人は特急バスを使うようだ。

現在、のと鉄道の終点となっている穴水駅。分岐駅の名残で立派な駅舎が印象的。駅前には遠藤関のノボリがはためいていた。

 現在のと鉄道の北端にあたる穴水駅からはかつて同鉄道の能登線が分岐し、半島の東端に近い蛸島駅まで61.0キロの支線として奥能登の生活を支えてきた。元は国鉄であったがモータリゼーションの波に勝てず廃止候補となり、昭和63年(1988)からは第三セクターの「のと鉄道」として再出発したものの、残念ながら平成17年(2005)に廃止されている。日々新しい道路がこれでもかと新規開通して利便性を高めつつある自動車交通にローカル線が太刀打ちするのは非常に難しい。人口分布などからして、もし現代の欧州並みの鉄道近代化を施していれば乗客数も増えて生き残ったかもしれないが。

 風光明媚な変化に富むルートなので廃線も魅力的だが、いかんせん61.0キロは長い。そこで私はレンタカーで車道をたどりつつ、駅とその周辺を「つまみ食い」することにした。藪こぎを厭わずあくまで全線の完歩を目指すような趣味なないので……。

 
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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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