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ヒロシ「生き地獄」を味わっていたホスト時代

ヒロシさん11月毎日更新 Q7 芸人時代の貧乏エピソードを教えてください


芸人としての初仕事、そのギャラはなんと200円。そしてその後に経験したホストは金銭的にも精神的にももっと過酷だった。ヒロシさんが「生き地獄」を味わっていた頃の話。


■初ギャラは、200円から源泉を引かれて180円成。

 まず福岡の吉本にいたときの3年間。お金、全然なかったですね。今でも覚えているのが、一番最初の営業の仕事でもらったギャラ。200円です。そこから源泉を引かれて手取りは180円。いずれにせよ小銭なのでATMから引き出すことすらできない(笑)。結局3年間でお笑いの仕事では10万円ももらってないんじゃないかな。あとは全部バイトでまかなっていました。

 もっと恐ろしかったのがホスト時代です。感覚的にはこの時が一番キツかったです。月曜から土曜まで出勤して給料は月に2~3万円。日曜日はコンビニでバイトしていたんですが、週6のホストより週1のコンビ二の給料の方が高かった。ホストって世間的には儲かる職業、というイメージがあるかもしれませんが、僕みたいに指名が取れないとホントに地獄ですよ。完全なる出来高制なので。

 ■さらに過酷だったホスト時代

 僕なりに売れる努力はしてたんですよ。しないと裏で殴られるのでちゃんと営業スマイルもしましたし、当時宮迫さんの「宮迫です。」ゲームにノリノリで参加したり(笑)。自分も芸人なんだぞ、という思いも最初はありましたけど、店が僕を辞めさせないのでもうここに馴染むしかないとあきらめていました。辞めようとすると「代わりのホストを探せ」と脅され借用書を書かせられるぐらいでしたから。

 それとホスト時代はホームレス状態だったんです。もともと住んでいたアパートに住めなくなってから、新しい所を借りる余裕もありませんでした。それでホストの客引きの間に、そこら辺を歩いている人に泊めてくれないか頼んでいました。時々泊めてくれる人もいたんですが、何日もお金を払わずに居座ると、結局追い出される。ホストをやっていた29歳から31歳までの3年間はまさしく「生き地獄」を味わっていましたね。


明日の質問は…〈Q8 なんでホストを始めたんですか?〉です。


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撮影協力:東京ベイ有明ワシントンホテル

ヒロシ

ひろし

ヒロシ・コーポレーション所属(サンミュージック企画業務提携)

お笑い芸人。漫談師、ベーシスト、俳優。


 



本名、齊藤 健一(さいとう けんいち)。 熊本県荒尾市出身(福岡県大牟田市生まれ)。 九州産業大学商学部商学科卒業。身長175センチメートル、体重70キログラム、血液型はO型。 趣味は釣り、キャンプ、キャンプグッズ集め、家庭菜園、バンド活動(ベース担当)。特技は「あるんだったらテレビに出てるよね」(ヒロシ談)。小型船舶操縦免許取得。自身のいらだちを熊本弁でつぶやく「ヒロシです」が人気を博し、一躍お茶の間の人気者に。最近では、カラオケ喫茶「ヒロシの店」をオープンさせるなど活動の幅を広げている。


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