「2017年」と決めていた引退、井口資仁が影響を受けたメジャーリーガー
井口資仁監督に聞く。Q3. 現役引退を決めたきっかけは?
「まだできるんじゃないか?」と言われるうちに辞めたかった
2017年を現役最後のシーズンにしよう。
2、3年前から自分自身の心の中では、そう決心が固まっていました。
プロ野球選手には、それぞれ自らの引き際に対する考え方があるでしょう。泥臭く最後までユニフォームを着続けるタイプ。逆に潔くスパッと退く決意をするタイプ。僕は周囲から「まだできるんじゃないか?」と思われるうちに辞めようと思ってきました。
まだ現役を続けられる自信はある。でも、限界ギリギリまでは続けたくない。その思いの狭間で、2017年を区切りの年にしようと決めたわけです。
かなり以前から決めていたことだったので、昨年6月に2017年限りでの引退を発表した際にも、ウルッと来ることはありませんでした。すぐに切り替えて、次の人生の目標を見つけて、そこに向かっていきたい。僕は元来、そういう性格ですし、きっとそういう生き方があっているのでしょう。
引退発表をその時期にしたのにはもう一つ理由があります。2016年に、MLBボストン・レッドソックスのデービッド・オルティズ選手が引退しましたが、彼はその前年のオフに翌年限りでユニフォームを脱ぐことを発表。シーズン中は、最後の遠征カードとなる各地のスタジアムで引退セレモニーが行われました。
僕はそのスタイルに憧れていたため、ある程度早い時期にファンの方へ引退することを伝えたかったのです。一人でも多くのファンの方に、最後にプレーする姿を見てもらいたい。そういう思いからでした。
その甲斐あってか、ファンの方には各地のスタジアムで多くの声をかけていただきましたが、中でも、8月27日の福岡ヤフオクドームでのソフトバンク戦は心に残っています。
プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせ、成長できた地で、元同僚の和田毅投手と対戦できたこと。何とかヒットを打てたこと。試合後には、その和田投手と工藤監督から花束を贈られたこと。いずれも忘れられない思い出です。
21年前、僕はプロ入りした際に、いくつかの目標を立てました。日本シリーズで優勝する。メジャーリーグでプレーする。日本球界に復帰してメジャーでの経験を後輩たちに伝える。
紆余曲折ありましたが、その目標はある程度順調に達成できました。自分でも恵まれた現役生活だったと思っています。