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生涯ジャンパー・船木和喜が飛び続ける理由

Q6・現役を続ける理由を教えてください。

もう今から20年前になる。1998年、長野オリンピックの名シーンと言えば、スキージャンプ団体ラージヒル。原田雅彦さんが「フナキィ~」と声を絞り出して祈る中、4人目の船木和喜さんがジャンプを成功させて金メダルを獲得した。船木さんは個人ラージヒルでも金、個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得。ワールドカップ通算16勝は日本最多勝利数である。 船木さんは長野オリンピック後に独立しスポーツマネージメント会社を設立しその他、食品事業もはじめアップルパイを手掛ける実業家は、ジャンプの普及、支援活動にも熱心で、指導者の顔をも併せ持つ。そして42歳の今なお現役のジャンパーだ。船木さんの「金メダル後の人生」に迫る。第6回。

【前回まで】
五輪金メダリスト船木和喜が「新宿のビルで上から下まで飛び込んだ」理由

あの環境にもう一度戻ってみたいから、今なお一生懸命やっている

――欧州では「生涯ジャンパー」も少なくないとか。

 

船木 特に北欧は多いですね。趣味の範囲でやっていて、町民大会などに出場して楽しんでいます。僕もスポーツマネージメント会社を立ち上げて独立してやっていますから、誰かに肩を叩かれることもない。誰にも決める権利はないし、もう一年、もう一年と思ってやってきていますが、別に引退しなくていいんじゃないかって思っています。

 

――どういったところがジャンプの魅力なのでしょうか?

船木 当然ですけどジャンプして下に落ちていくので、いろんな技術を使ってできるだけ飛んでいられるように工夫する。やっぱり距離を飛ぶと気持ちいいです。その気持ちは始めたころとあまり変わらないというか、今を一番楽しめて飛んでいるというか。

 それと魅力という部分では、危ない競技に思えるかもしれないけど、凄い安全な競技でもあるんです。もちろん骨折とかケガは付きものですけどね。安全な競技であることを、もっと広く知っていただきたいですね。

――ワールドカップに出場すると、海外を転戦することになります。船木さんの通算16勝は日本最多勝利数です。

船木 海外を回るのは楽しいですよ。同じメンバーで回っていくので、サーカスみたいな感覚です。みんな仲間ですし、競技と関係ないときはみんなでお酒を飲んでワイワイやって。

 あの環境にもう一度戻ってみたいから、今なお一生懸命やっているというのはあります。昔一緒に回っていたメンバーは、国のヘッドコーチをやっていたりします。僕としては自分が選手として、もう一度会いたい。今の大きなモチベーションですね。

――世界に〝戦友〟がいるわけですね。

船木 30代後半になって海外の試合に一人で行ったとき、しばらく一緒に回っていた仲間のほとんどがコーチになっていました。僕が飛ぶ順番になったら、その30人ぐらいが飛ぶ合図でニコニコしながら旗を挙げてくれるんです。いろんな国のコーチが一斉に。

 わっ、見られてると思うと、もう笑っちゃって飛べなかったです。ジャンプして失敗すると、あの人たち喜んでるんですよ。この野郎って思いましたね。本当に素晴らしい仲間たちです。

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船木 和喜

ふなき かずよし

スキージャンプ

1975年4月27日生まれ。北海道余市郡出身。F.I.T所属のスキージャンプ選手。日本代表として冬季オリンピック2大会(1998年長野、2002年ソルトレイクシティ)、世界選手権5大会に出場。長野オリンピックで団体ラージヒルおよび個人ラージヒルの2種目で金メダル、個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得している。この他、世界選手権獲得金メダル1、銀メダル3、スキージャンプ・ワールドカップシーズン個人総合で日本人歴代最高の2位などの成績を残している。


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