織田信成「あの靴紐が切れた人、で終わりたくなかった」五輪後の後悔と決意
織田信成さん2月毎日更新 Q26.バンクーバーオリンピックでスケート靴が切れた時、どんな気持ちでしたか?
靴紐が切れていなかったら、もっと早くに引退していた
――ショートプログラムで4位とメダル圏内を射程に入れた中、フリーで靴紐が切れる悲劇に見舞われました。どんな状況だったのでしょうか。
ショートで4位となったこともあり、コンディションは最高潮でした。実はスケート靴の紐は、前日の練習中に切れていたんです。コーチに相談したのですが、慣れている紐が良いなら替えなくても構わないとアドバイスを受けました。スケート靴の紐は、新しいものだと緩んでしまう場合が多々あるんです。だから、試合直前で替えることは、ほとんどありません。足先の微妙な感覚が変わることに、試合直前で慣れることは不可能ですから。だから、切れた箇所を結んで出場しました。
――運が悪かったんですね……。
まぁ、そうとも言えますが、終わった後は人生が真っ暗に感じるほど落ち込みました。国を代表して出場しておきながら、靴紐が原因で成績を残せないことに、情けない思いで一杯でした。先ほど言ったような事情があるにせよ、結局は自分の管理が甘いことが原因ですから。
――その後、どうやって気持ちを切り替えたのでしょうか。
実は当初、バンクーバーオリンピックを機に、引退を考えていました。次のソチオリンピックの時には、もう27歳。フィギュアスケート選手としては、当時は微妙な年齢とされていましたから。だから、バンクーバーオリンピックで良い成績を残して、華々しく引退してプロになろうと思っていたんです。帰国後3ヶ月ほどは、本当に暗闇でしたね。
でも、時間が経つにつれて、「あの靴紐が切れた人」でフィギュアスケート人生を終えたくないと思うようになりました。思えば、体の小さい僕は幼い頃から負け組でした。そんな中、オリンピックにまで出場できたフィギュアスケートを、不甲斐なく終わらせたくないと、ハングリー精神が蘇ってきたんです。
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2018年、平昌オリンピックの年に氷上のお殿様こと織田信成が、自身の、波乱万丈のスケーター時代など体験を交えながら、フィギュアスケートの魅力を皆さんにお伝えします。また、指導者であり解説者である厳しい視点は保ちつつ、初心者にこそわかりやすい、平昌オリンピックの見どころなどを解説。逆境でこそその強さと美を発揮してきた羽生結弦選手への思い、戦友・浅田真央さんへのメッセージ、松岡修造さんとの熱血対談も必読!