北海道の近代を開いた最古の鉄道 国鉄手宮線【後編】
ぶらり大人の廃線旅 第23回
■日本銀行の裏手を過ぎて
(前編から)ほどなく日銀小樽支店の重厚な建物の裏手を通る。現在では庁舎がそのまま金融資料館となっているが、かつての小樽は北海道商業の中心都市で、大正の中頃までは人口も札幌より多かった。昭和11年(1936)に鉄道省が刊行した『日本案内記』に挿入された小樽市街図によれば、この色内駅付近には日銀の他に北海道銀行、拓殖銀行、三井銀行、三菱銀行などの支店や汽船会社、英国領事館などが密集している。そういえば以前は札幌の出版社へ送金する場合でも、郵便振替口座は「小樽○号……」と称していたものだ。
色内駅はこのあたりにあったはずだが、今はモニュメント的な四阿(あずまや)が建つのみである。戦前の市街地図では交差点の南側に描いてあるが、この四阿は北側。どちらが正しいのかは不明だが、時代によって場所を少し移動することは珍しいことではない。
関東でいえば大谷石(おおやいし)に相当する軟石(凝灰岩)の倉庫が町のあちこちで目につく。いかにも商業都市の歴史を感じさせる建物であるが、今では喫茶店や土産物店などに変身しているものも少なくない。観光都市ならではの転身であろう。凝灰岩は柔らかく加工も容易なので本州などでは石仏が彫られたりするが、軟石の産地である手宮には洞窟に古代人が絵や紋様を彫んでいる。思えばこの一帯は個々の建物については歴史的風景も感じられるのだが、エリア全体から見れば中高層のマンションも必ず視界に入るほど増えている。札幌にほど近い住民の居住環境と歴史的景観の両立は難しいところだ。