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暗殺のはずがいつの間にか合戦に? 本願寺教如 vs 石田三成

鈴木輝一郎 戦国武将の史跡を巡る 第49回

岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!

 裏街道関ヶ原合戦・東本願寺(真宗大谷派)開祖・本願寺教如の危機一髪物語の6回め。

 さて、前回、国見峠をなんとか切り抜けた本願寺教如は、近江にはいります。
 ほぼ同じ時期の慶長5年(1600)9月14日、徳川家康の本隊が大垣勝山に着陣します。この写真は撮り忘れました、ごめんなさい。拙宅から車で10分ほどの場所なんで、この次に。
 ちなみに勝山は地元では「おかちやま」と呼ぶのがふつう。ほどほどの地形なので、小学校の遠足の定番コースです。

 

 ほぼ同じころ。
 石田三成は合戦は下手でしたがじつにこまめな男で、この段階にはいっても近江入りした本願寺教如の暗殺をはかります。
 近江は石田三成の本拠地であると同時に、蓮如上人の伝道の関係もあってか一向宗(浄土真宗・真宗大谷派)の寺院も数多くあります。一向宗は一向一揆で知られるとおり、戦うとなったらやたら強いので、早めに手を打っておこう、ってことでしょう。
 あと、関ヶ原の合戦は、まさか半日で決着がつくとはだれも思っていなかったんで、長期戦になったときのことを考えて三成も手を打った、といったところでしょうか。

 本願寺教如はまず、近江国誓願寺にはいります。長浜市内保町にあり、姉川古戦場のちかく。浅井長政・お市の方の本拠地だった小谷城が目の前です。
 とはいえ、このお寺は守るのには不向きだった模様で、600メートルほど離れた法音寺(長浜市尊野町)に移動します。

 

 地上からの写真ではわかりにくいのですが、法音寺はその一角が堀で囲まれた城郭町になっています。Google Earthで空中写真をみるとよくわかります。

 そこからさらに本願寺教如は本誓寺(長浜市香花寺町)に移動します。これは軍事的理由から。
 本誓寺の僧侶・慶信坊という人は、大坂・石山本願寺一向一揆のとき、教如とともに織田信長と戦った歴戦の武将だった。
 ええと、書き忘れたかもしれませんが、教如は十代の青春時代のほとんどを、織田信長との戦いに明け暮れた、武将としても名高い人でもあったんです。

 

 で、本誓寺に入った本願寺教如と慶信坊は、石山合戦でいっしょに織田信長と戦った者たちに招集をかけます。
 今度は教如にとっても石田三成にとっても本拠地で、しかも平地。暗殺どころか、合戦の様相を呈してくるんですが、この続きは次回。

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鈴木 輝一郎

すずき きいちろう

作家

1960年岐阜県生まれ。小説家。歴史小説『浅井長政正伝』『戦国の凰 お市の方』など著書多数。2008年には著作が50冊に達した。

日本推理作家協会・日本文藝家協会・日本冒険作家クラブ会員。


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