いわき平城の窮状
外川淳の「城の搦め手」第112回
いわき市内の銭湯に入浴するついでに、平城を探査してみた。
平城は、東日本大震災で被害を受けた。
櫓台の石垣が崩落したのだが、発生から8年が経過しても、さらなる崩落に備えた土嚢が積まれるだけで、放置された状況が継続している。
城門の石垣は、崩落したのち、高さを低くして積み直されたという。
平城は、過去にも2度ほど訪れたのだが、史跡としての最大の特徴は、案内板が城内に設置されていないこと。今回も状況には変化がなかった。
平藩安藤家は、戊辰戦争が勃発すると、奥羽越列藩同盟に加わったことから、平城は、新政府軍の攻撃を受けて陥落。
ただし、圧倒的な戦力差があったことから、平城を舞台にした攻防戦は展開されず、平藩兵は城を放棄している。
明治維新以後の時の流れのなかで、城跡は民有地となり、今日に至っている。
丹後沢と称される外郭の堀周辺は、公有地となって公園化が進展している。
その一方、本丸周辺は、立入制限が継続しており、帰途に立ち寄った駅の観光課にたずねると、公有地化の動きはないという。
ではあるのだが、Webサイト『磐城平城本丸跡地』によると、本丸の一部の公開が期間限定で予定されているとのこと。
これで、ようやく江戸時代の大名の藩庁として役割を果たしながら、史跡として意識されなかった平城も探査が可能となるようだ。
これまで、平城は史跡として、いわば虐げられた状況にあった。今後の展開が期待される。