蒲生氏郷のふるさと・日野②清水町の仕掛けと高札場
季節と時節でつづる戦国おりおり第407回
氏郷公へのご挨拶も済ませたところで、サクッと蒲生氏の史跡をめぐって参りましょう。
まずはこちら。
清水町の町並みです。
清水町は日野の町の南端にあたるのですが、伊勢と近江・多賀大社を結ぶ「御代参街道」と呼ばれる幹線道路から分かれて蒲生氏の本拠・日野城(中野城)に至る脇道です。面白いのは、東、北、東、北、東と屈折をくりかえして進むところ。
これは松阪や会津若松と氏郷の新旧城下町に共通する「クランク道」の最初の例だと思います。よくこれは敵の侵入を防ぐためと言われますが、一部に限定されていること、規模が大きくないことなどから、それよりも商業振興の目的があったのでしょう。
視界を遮断して目の前の商品に集中させるのは、「映画館効果」と呼ばれる効果的な手法なのです。当時の清水町は、きれいな清水が湧いたところからその名がついたとされ、それを必要とする紺屋が集まって染織物を作り商ったそうです。往時は活気に溢れた町並みだったのでしょうね。
そして清水町へと分岐する道をそのまままっすぐ北へ進めば、「日野商人街道」の愛称が付けられた日野のメインストリートにぶつかります。ここにあるのが、高札場。
この道は、南の御代参街道が西のはずれで合流してくるのですが、三方の通行人に高札を読ませるにはちょうど良い場所ですから、戦国時代もここに高札が立てられたことでしょう。