「情」に厚く善政も評価される三成の実像に触れる近江路【滋賀県 長浜市・米原市・彦根市】
「びわ湖北東部巡り」の旅②
しかし、近代の歴史学者たちの研究により、「義」を重んじて、「情」にも厚かったという人物像と官僚としての功績も見直され、再評価されている!
そこで、生まれ故郷・近江を訪れ、三成の実像と足跡に触れる「びわ湖北東部巡り」の旅を提案しよう!
■領地と領民を愛し、民からも愛されていた
三成は太閤検地(たいこうけんち)を奉行として取り仕切った優秀な実務官僚だった。半面、豊臣恩顧(おんこ)の大名では武功を誇る加藤清正(かとうきよまさ)、福島正則(ふくしままさのり)らと折り合いが悪く、戦巧者でもなかったという。
しかし、だからといって三成を「愚将」と一刀両断に論じるのは禁物だ。将たる者、戦に強いだけがすべてではない。三成は領国経営においては「名君」であり、その事績の痕跡は成菩提院(米原市柏原)や、居城であった佐和山(さわやま)城の周辺に多く残る。
『石田三成十三ヶ条成菩提院村掟書(じょうぼだいいんおきてがき)』は、三成みずから領地の農民に発した掟書である。
農民が読めるようにあえて仮名を多用するなど配慮した、他に類を見ない書状である。
内容は農民の権利を保証したもの。
「農民夫役(戦の兵や築城の人足として徴用)には対価を提供する」
「農地は検地帳に記された農民のもので奪いとることを禁じる。糠(ぬか)や藁(わら)などを奪われても訴状を提出できる」などと記されている。
「年貢率は稲刈りの前に田の状態を見て決定する」ともある。米の収穫は天候などによって毎年異なるため、不作の年には高い年貢を強要しない、そう断言しているのだ。
また、『佐和山城図』からは三成の城下整備が読み取れる。
佐和山は越前・美濃・近江・京都の中継地であり、かつ琵琶湖の水運の要衝(ようしょう)にあった。
三成は交通・流通の拠点を担うにふさわしい都市に整備した。佐和山の山頂に天守を持つ城、城下には侍屋敷を建て、人々の往来を奨励し発展させた。
宗安寺(そうあんじ)の歴史ある山門は、後に彦根を治めた井伊(いい)家が、三成の時代の佐和山城大手門を移築したものと伝わる。
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石田三成巡礼ツアーをさらに楽しむ方法!
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戦国武将・石田三成が生まれ育ち、秀吉と出会い、居城をもった地、滋賀県の長浜市・米原市・彦根市。3市には、石田三成公のゆかりの場所が各所にある。
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