遥かなる日本海への航海
その距離約3万3000キロ
日本海海戦と東郷平八郎 第2回
アフリカの喜望峰を回るコースの場合、日本までは約3万3000キロ。途中、列強の植民地に寄港して石炭や食糧を補給しなくてはならない。が、日英同盟の関係でイギリスの協力は得られない。
乗組員の訓練は行き届かず士気もあがらない。それを裏づけるように早くも10月21日深夜、北海のドッガーバンクでイギリスのトロール漁船団を日本軍の水雷艇と誤認して攻撃するという大失態を演じた。このドッガーバンク事件により、ロシアは6万5000ポンドの賠償金を支払う羽目になる。
第2太平洋艦隊は11月はじめ、喜望峰を回る本隊と、喫水が浅くスエズ運河を通れる軍艦から成る支隊とに分かれて航行。1905年1月9日、マダガスカル島北西部のノシベ島で合流した。