新選組京都ゆかりの地案内「壬生」編
新選組の足跡を辿る 第1回
新選組が産声を上げ、その全盛期に活躍の舞台となり、不逞浪士たちを震え上がらせた京都。今も多くの人が訪れ、蒼き狼たちを偲んでいる。ここではありし日の新選組を確かに感じられる場所を厳選。その足跡をたどってみたい。
若かりし日々の新選組の息吹を感じながら歩く
四条大宮の交差点から徒歩5分足らず、綾小路通に新選組の“菩提寺”光縁寺はある。門前の「新選組之墓」碑が示すとおり、本堂裏にはゆかりの墓碑が残り、総長・山南敬助をはじめ、命を落とした20名ほどの隊士が眠っている。
綾小路通を西に進むと、ほどなく坊城通と交わる手前に重厚な長屋門が見えてくる。新選組が屯所を設置した旧前川荘司邸で、今も郷士の邸宅の豪壮な姿を留めている。
坊城通を南に折れれば、右手が八木源之丞邸だ。通りから奥へ入ったところに芹沢鴨暗殺事件が起こった母屋が残る。この母屋が新選組の屯所ともいわれるが当時は坊城通側に八木家の離れ座敷があり、新選組が借用したのはそこだった。新選組はさらに八木家の住人が暮らした母屋と離れ座敷との間に「文武館」という武術道場を建設している。
前川邸、八木邸のほか八木邸の南隣にあった南部亀次郎邸なども宿所とされたと考えられ、各所に散らばる隊士たちを召集するには、綾小路通と坊城通が交わる角で拍子木を打ち鳴らして合図にしたという。
南部邸跡の向かいが、清河八郎が演説した新徳寺。さらにその向かいに、新選組が境内で調練した壬生寺がある。