「神」と「仏」はなぜ「神仏」と呼ばれるようになったのか!?
30万部突破のベストセラー『眠れないほど面白い「古事記」』の著者・由良弥生が、日本人の信心の謎に迫る!『「神」と「仏」の物語』5月10日発売。
私たちは、ふだん何気なく「神さま」「仏さま」という言葉を口にすることが少なくありません。神社やお寺に行けば、神や仏の加護を祈って拝んだり願ったりします。
また、
「そんなことをしたらバチが当たる」
と口にすることがありますが、それは「神仏はお見通し」だからでしょう。
さらに、
「仏ほっとけ、神かまうな(神や仏をあてにするな)」
とか、
「仏に刻めば木も験あり、神に祭れば石も祟る(ただの木材でも仏像に彫れば霊験があり、ただの石でもご神体にすれば神威をあらわす)」
などという言葉もあります。
いずれにしても多かれ少なかれ神仏を畏敬し、あてにする気持ちからできた言葉といえます。
神と仏は同じものなのか。異質のものなのか
こんな言葉が残っています。
「神と仏は水波の隔て(神は本地=本来の姿=である仏が仮に姿をあらわしたものであるから、水と波との関係のように形だけの違いで、もとは同じものである)」
つまり、神と仏の間に線引きはなく、神と仏は一体、同じものと見られていたのです。
ですから、神社とお寺が同一敷地内にあることは珍しくありませんでした。
また、神社に附属して建てられた「神宮寺(別当寺・神護寺とも)」という神社と見まがうようなお寺が多くありました。お寺にも鳥居が見られ、神社の入り口には仏・菩薩の姿をした「神の像」が置かれていました。
このように神と仏はずっと同じものと考えられていたのですが、いきなり切り離されてしまいます。明治新政府が「神仏分離令」を発し、神と仏の同一視を禁じたからです。
では、なぜ神と仏は同じものと考えられていたのか。なぜ、切り離されてしまったのか。
さらに、今、お寺は人の死と深く結びついていますが、それは江戸時代になってからのことで、それまでは神社同様、死者や死を忌み嫌っていました。それはなぜか──。等々、
今さら人には聞けないことや、聞かれても返答しにくいことが少なくありません。
それらに答えられるよう、日常生活の中に息づく神と仏の歩みを、その違いを含めて語るのが本書です。この世界も、じつは未来の人々から見れば、かなりゆがんだ世界観なのかもしれない。
第一章 神と仏の誕生
1 神の由来
2 仏の由来
1 苦悩する神と近寄る仏
2 祟る神と鎮める仏の誕生
1 阿弥陀のいる浄土
2 その後の神と仏の行方
1 江戸の事情
2 尽きない怨霊の恐怖
1 身近な神々と神徳
2 身近な仏とご利益
1 神社のしきたり
2 寺のしきたり