古田敦也も驚いたノムさんのミーティング「野球の話ではなく、人間の話をした」
野村克也さん3月毎日更新 Q.21 「野村の考え」を教え込むなかで、選手たちに徹底させたかったことは?
ファンが最も喜ぶチームの勝利を目指さなければいけない
「野球とは何か?」「野球選手はどんな意識を持って野球に臨む必要があるのか?」といった基本的な野球論から始まり、戦略・戦術論や走攻守に関する技術論、データを活用した“ID野球”の考え方など、「野村の考え」には、私がそれまで培ってきた数々の野球理論を詰め込めこんでいきました。
監督として初めてそれらを披露したのが、1990年の春、ヤクルトスワローズの監督就任1年目に実施したアメリカのアリゾナ州ユマでのキャンプです。
ホテルの一室で毎晩1時間、のちに「野村時間」と呼ばれたミーティングの場を設け、選手たちに「野村の考え」を教え込みました。
そして、まず最初に話したのが、人間学や社会学だったんです。
なぜ野球の話ではないのか? そう疑問に思う方もいるかもしれません。事実、当時入団1年目の古田敦也も野球の話をなかなかしないことに驚いたそうです。
しかし、私から言わせれば、彼らはプロ野球選手である以前に人間であり、社会人なんですよ。
まずは、「人は何のために生まれてくるのか?」「何のために社会に存在しているのか?」ということを考えなければいけない。
では、それは何かといえば、「世のため、人のため」なんです。
それをプロ野球の世界に当てはめるとすれば、選手はわざわざお金を払って観に来てくれるファンのためにプレーしなければならない。ファンが最も喜ぶことは、チームの勝利なのだから、チームが一丸となって勝利を目指さなければいけない。
そうした考え方こそが、野球に対する取り組み方につながっていくんです。
当時のスワローズは万年Bクラスの、いわば弱者でした。その弱者が読売ジャイアンツなどの強者に立ち向かうためにはチームが結束しないといけないわけですが、えてして弱いチームほど一体感に乏しいという共通点がある。
チームが弱いからということで、選手の目が自分の成績ばかりに向いてしまうんです。勝利を目指しているというのに、それでは本末転倒であるのは言うまでもありません。
そこで私が選手たちに徹底したのが、「フォア・ザ・チーム」の精神を植えつけることでした。
個人成績優先という利己主義に背を向け、ベンチに入った選手全員が常にチームに貢献することを考え、それぞれの役割を理解しながらプレーする。
弱者が強者に勝つためには、こうした意識改革が必要だったんです。
幸い、キャンプ地がユマというのもよかったんですよね。周囲は砂漠ですから、選手が遊びに行くところがない(笑)。もう、24時間野球漬けでしたから。
選手たちも「もっと強くなりたい」という向上心を持っていたようで、嫌がることなく必死についてきてくれました。
おかげで、「野村の考え」は乾いた土に染み入るように浸透していき、選手たちの意識や行動が変わりました。
そして万年Bクラスだったスワローズが、優勝争いをするチームにまで変わっていったんです。
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