奇橋・猿橋がちらりと見えた中央本線の旧線を歩く【後編】
ぶらり大人の廃線旅 第14回
削られた築堤と山腹のトンネル
水路橋の西側の国道は、下り車線が崖から突き出した険しい地形で、その山側を歩道で過ぎるとあたりが開ける。新道という集落で、開渠の水路の北側には長らく汽車が走る高い築堤が放置されていた。ずっと以前にこの廃線を歩いた時には草の生えた堂々たる築堤が印象的であったが、いつの頃か撤去されて今はない。築堤から汽車は国道を跨線橋で跨いでその先の大原隧道へ入っていたはずであるが、今ではハシゴを外された形となり、山の中腹のような場所に隧道の入口がぽっかりと開いている奇妙な光景である。そのトンネル入口からは丁寧にも虎ロープが下がっていてよじ登るのを推奨しているかのようだったが、今回はその誘いには乗らない。
引き続き国道を歩けば「東京から90km」のキロポストが民家の脇に建てられていた。勝沼までは31kmという。ほどなく旧道が右手へ分かれていく。そちらへ行かずに直進すれば現在の国道橋「新猿橋」を渡ることになるが、旧道は三角形の二辺を通るルートで奇橋・猿橋を経由している。この旧道を歩いて行けば、大原隧道の出口にたどり着くはずだ。
やがて重厚な石造りの塀のような構造物が道の石垣に隣接しているのが見えてくるが、これがトンネルの出口上部である。入っていいのか躊躇しつつも、おそらく民家の階段を「失礼しまあす」などと声をかけつつ図々しく降りて行けるようになったのも年の功だろうか。若い頃なら土手の急斜面は大丈夫だった反面、こういう場所にはなかなか近づけなかった。
そもそも廃線歩きなどというものは、意図の有無にかかわらず私有地へ侵入してしまうものである。だからその場に人がいれば通っていいか声をかけ、そこで廃線にまつわる貴重な話など聞けたりすれば幸いだ。もし人がいなければ黙って通ってしまう。ただしこれは私個人の話であって、もし本稿を参考にして同じ廃線を歩いた人が不審者扱いされてお巡りさんに連行されたり、猟師に鉄砲で撃たれたとしても、私の知ったことではない。これが大人の廃線歩きである。
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