宇野常寛 札幌での浪人生活は「ひたすら好きな本を読むという毎日でした」
宇野常寛さん3月毎日更新 Q3. 「浪人時代のエピソードを教えてください」
受かりそうな大学はほとんどなかった
落ちこぼれグループで高校生活を過ごしていたので、結局、受験勉強は全然しませんでした。正確には、高校3年の1学期だけはやっていましたが、途中でやらなくなりましたね。一言でいうと、スネていたんです。高3で中二病をこじらせてる感じ。「落ちこぼれている自分がカッコイイ」と思う病気にかかってしまって、とにかく遊びまくっていました。
高校は函館でしたが、浪人生活は札幌で過ごしました。でも、まじめに予備校に行くことはなく、行ったふりの毎日。予備校は9時から授業が始まりますが、8時45分に札幌駅の本屋が開くので、まずはそこに行って立ち読み。しばらくするると駅前の本屋も開店し始めるので、移動します。その頃は、「あの店は雑誌にカバーがかかっていない」とか「あそこは漫画の新刊にカバーがかかっていない」、「あの店は座り読みができる」といった情報を把握していたので、1日で3~4軒はしごしてひたすら立ち読みして、中央図書館に寄って、そして古本屋をぶらぶらして帰る。そんな毎日ですよ。
あのころ雑誌は月30冊くらい読んでいましたし、あとその頃は宮台真司さんや大塚英志さんとか90年代のサブカルチャー批評をよく読んでいましたね。特に宮台真司さんに対しては、どう脳内で反論するかがんばって考えていたましたね。まさか自分がその10年後に宮台さんの帯でデビューするなんてまったく想像もしていない。浪人時代は、そうやって現実逃避をしながら、ひたすら好きな本を読むという毎日でした。
トータルで2年半くらい受験勉強から離れていたので、当然成績はものすごく下がっているわけです。基本的な英単語も忘れている状態なので、受かりそうな大学がほとんどなかった。そこで、受験勉強とあまり関係ない現代国語の配点が高い大学を探して、ひたすら受けました。とにかく現国の配点が高いところを受験しまくって、受かったのが立命館大学の文学部です。首の皮一枚つながったと思いましたね。当然「立命館大学に行きたい!」という願望はまったくなかったですし、文学部に入りたいという志も一切ない。大学も学部も、単に現国の配点が高かったから選びました。でも、当時は本当にほっとしました。いいかげんに生きていても世の中意外となんとかなるんだな、と間違った教訓を得ていましたね。
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