安倍退陣で誕生した「菅内閣」支持率爆上げの違和感
「殉教するヒーローとその継承者というイメージ」の罠
安倍元首相の急な退陣表明の直後、安倍内閣支持率は急上昇。安倍路線の継承者として菅内閣が誕生した。各報道機関の世論調査で、軒並み6~7割という高い支持率を記録。安倍政権末期の支持率低迷から思えば、大逆転の様相を呈した。メディアでは菅首相の人柄や実行力を盛んに喧伝しているこの違和感……。これはいったいどういうことなのか? 新刊『人はなぜ「自由」から逃走するのか~エーリヒ・フロムとともに考える』(KKベストセラーズ刊)が話題の哲学者・仲正昌樹氏が、菅内閣高支持率の「大衆心理」を紐解いた緊急寄稿を公開。
■安倍内閣の負の遺産がありながら高支持率の菅内閣
八月二十八日の安倍首相の急な退陣表明後、安倍内閣の支持率が各種世論調査で二〇%前後急上昇して、不支持を大きく上回った。その後の自民党の後継総裁選びをめぐる動きでは、メディアは、これまで党内の反安倍の急先鋒で、一般党員の間に根強い人気があるとされる石破茂氏を推し、彼に有利と見られる一般党員投票を行うべきと主張した。
しかし、その後の世論調査では、あっという間に、菅官房長官と石破氏の支持率が逆転し、総裁選のための地方の予備投票でその傾向は更に強まり、菅氏の圧勝で新政権が発足した。政権発足直後の世論調査でも、六〇%台後半から七〇%台の高い支持率であった。
安倍政権の末期に決定的な政策転換があったわけではなく、官房長官だった菅新首相も、安倍内閣の政策課題の継続・完成を掲げているわけだから、政策の評価で支持されるようになったわけではないのは明らかである。
むしろ、コロナ対策が“後手に回っている”ことや、河井元法相夫妻の逮捕や黒川前検事長の人事問題などが連日批判されるなか、体調の悪い首相が長い間記者会見を開かない状態が続いた挙句の辞任であるから、普通だったら、菅内閣は大きな負の遺産を背負うことになるはずなのに、それとは真逆の展開になった。
■四十年前の大平政芳首相の急死
安倍前首相の退陣表明を受けて内閣支持率が上がっており、菅氏を後継に推す動きが出ている、という報道に接した時、私はほぼ四十年前の一九八〇年六月の大平正芳首相の急死を思い出した。
大平内閣は、田中角栄元首相の傀儡政権と言われながら、総合安全保障構想、田園都市構想、(APECの先駆けとなる)環太平洋連帯構想などを打ち上げ、そのための有識者による研究会を設置するなど、当時としてはかなり目新しい――自民党らしくない――政治手法や政策目標を導入し、それなりに一般国民受けしていた。当初は、大平首相が訥弁で、質問にすぐに答えられないで、「あーうー」、と言っている、というさえない印象があったが、次第に、それも愛嬌だとか、慎重な姿勢の表れだとか、ポジティヴに受けとられるようになった。
しかし、八〇年からの消費税導入を打ち出して、七九年の総選挙に臨んだ結果、自民党が過半数を割り込み、福田派・三木派等の反主流派が本格的な大平おろしを始め(四十日抗争)、首班指名選挙では反主流派が福田元首相に投票する、という本格的な分裂状態になった。
その後、社会党が出した内閣不信任案の採決に際して反主流派が退席したため、不信任案が成立してしまった。追い込まれた大平首相は、衆議院を解散し、前例がなかった衆参同時選に打って出た。派閥抗争に一生懸命で、まともに政策運営できない末期症状を呈していた自民党は惨敗するしかない、と思われていたが、遊説中の首相が体調を崩して緊急入院し、そのまま亡くなった。内閣は、当時の官房長官が首相臨時代理として引き継いだ。
首相の急死で、司令塔を失った自民党には猶更不利になるという見方もあったが、主流派が選挙は“弔い合戦”であることを強調し、マスメディアがそれに注目し、反主流派も、死人に鞭打っていると思われないよう“一致結束”したため、自民党は大勝した。後任の首相には、大平派の重鎮で、総務会長だった鈴木善幸氏が就任した。