【長崎「地名」ケンミン性】桓武平氏の氏族の名前説、「長い岬」説が混在して地名として定着《47都道府県「地名の謎」》
【全国地名由来辞典】県や町の名前から郷土のドラマをひもとこう!_長崎県
■古代より外交が盛んだった「崎」
《長崎県の由来》氏族の名前が地名として定着
室町時代初期にこの地を領有した、桓武平氏千葉流の長崎氏から派生した地名とされている。また、戦国時代末期までは、現在の諏訪神社辺りから、長崎港方面にある長崎県庁に向けて長い岬(崎)が突き出していたことから、長崎弁でいう「長(なん)かみさきのあるところ」が転訛し、言葉が縮まって「ながさき」という地名が生まれたという説もある。慶応5(1869)年には全国10カ所に置かれた「府」のひとつで外交の重要地とされた。
《地名の由来》
◉壱岐(いき)船が往き来した島
『魏志』倭人伝にも見える古い地名。『万葉集』に「由吉能之島(ゆきのしま)」とあり、フロイスによる『日本史』でも「yuquinoxima」とある。大陸との海上交通の要所であったこともあり、「往き」を地名の起源とする説が有力。また『古事記』には「 伊伎島(いきのしま)」とある。
◉生月(いきつき)遣唐使が行き着いた地遣
唐使が荒波を乗り越えて、やっとの思いで「いきついた」場所というのが地名の由来。「属」には付属のように「つく」の意味を含んでいることから、古代においては「生属」。明治になって「生月」に改められたという。
◉江迎(えむかえ)もてなしの心が地名に
古くから交通の要衝であり、江戸時代には平戸藩の本陣が置かれ、平戸往還の宿場町として栄えた。こうした歴史的な背景から、「江(港)」で「お迎えする」というもてなしの心が、地名として定着していったと推察される。
◉千々石(ちぢわ):千々石ミゲルの出身地
『肥前国風土記』に登場する「比遅ひじは」という断崖の付近にあった「土歯(ひじは)ノ池」が地名の起源とされる。この「ひじは」が転訛して、いつしか「千々石」になったというのが定説。天王遺欧少年使節の正使・千々石ミゲルの出身地。