『経団連が求める教育像』をきっかけに学校教育の本質を考える
第55回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-
■経団連の教育に対する3つの視点
東証一部上場企業を中心に構成され、「財界総本山」とも称される経団連(日本経済団体連合会)は、教育をどうしたいのだろうか。また、教員に何を求めようとしているのだろうか。
11月17日に経団連は「Society5.0に向けて求められる初等中等教育改革 第二次提言」(以下、第二次提言)を発表した。7月14日に発表した「第一次提言」には、中央教育審議会での検討項目には盛り込まれなかったものが多かったとして、それを補足するという位置づけだ。
もちろん経済界を代表した提言のため、「経済」を優先した内容になっているのは当然である。しかし、それに教育が引きづられすぎてしまうと、教育の本質そのものを見誤ってしまうリスクがあることを理解しておきたい。
第二次提言の「はじめに」には、「Sosiety5.0に向けて求められる初等中等教育には、次の3つの視点が欠かせない」として3つが提示してある。
1つ目の視点として、「Society5.0で活躍する人材に求められる能力の養成である」と記されている。そして、「今後Society5.0の担い手として活躍が期待される若年層の人口が減少の一途をたどるなかで、社会全体が持続的に価値を生み出し続けるには、一人ひとりが能力を発揮することで得られる付加価値を高めなければならない」と続いている。
ここでの「主役」は、子どもたちではない。
少子化で若年層の人口が減るなかでは、Society5.0の担い手も少なくなる。それを補うために、少ない若年層の全員が力を発揮して付加価値を高めなければならない、という。
そのために「初等中等教育の各段階から能力の養成に取り組む必要がある」と、第二次提言は述べている。社会のために活躍する能力を養成するのが教育の役割だと言っている。
社会のために活躍する能力を養成するのも、教育のひとつの役割ではある。ただ、そのために子どもたちの「個性」を犠牲にしてしまって良いはずがない。「社会のために」と同時に、「子どもたち個々のために」も大事である。
子どもたちが「主役」であること忘れない視点が大事なのではないだろうか。
2つ目の視点としては、「学びのデジタルトランスフォーメーション(DX)である」としている。
デジタル技術、データを活用し、「効果的・効率的な学び」を実現していく必要性を掲げている。社会のためだけでなく、子どもたちの個性を伸ばしていくための効果的・効率的なツールとする視点も忘れてはならないだろう。
そして3つ目の視点として掲げられているのが、「ダイバーシティ&インクルージョン」である。「児童生徒一人ひとりの個性・能力を最大限伸ばしながら、他者と協働して問題発見・解決に取り組み、新たな価値を創造する体験を得ていくことが重要である」と述べられている。
これは一見、まったく問題のない文言のように読める。しかし、この文章の前には「Society5.0では、性別、人種、国籍等を問わず、さまざまな個性や能力をもった人材が協働して社会的課題を解決し、オープンイノベーションを通じて新たな価値を創造することが求められる」とあり、「グローバル教育の重要性」については次のように書かれてある。
「Society5.0では、異文化や多様な背景を持つ集団においてグローバルにリーダーシップを発揮しながら他者と協働できる人材が求められる」
少子化のなかで迎えるSociety5.0の社会では、「担い手である若年層」の不足を補うために「異文化や多様な背景を持つ集団」、つまり性別、人種、国籍等を問わない集団での協働が必要になってくると想定しているようだ。その集団でリーダーシップを発揮する人材を、経団連としては求めているようにも読めてしまう。
言うまでもなく、全員がリーダーになるわけではない。リーダーだけを強調してしまえば、その競争から落ちこぼれた子どもたちを見捨てるようなことにもなってしまいかねない。
第二次提言にもあるように「児童生徒一人ひとりの個性・能力を最大限伸ばし」、リーダーでなくてもチームの一員として輝ける存在になるような支援をすることが教育の役割ではないだろうか。
■経済界が求めるこれからの教員とは…
経団連の視点に立って、教育を担う教員について第二次提言では「教員の採用」の項で触れている。そこには、「現在不足している分野の教員を新たに採用することが重要である」と書かれている。そして、不足していると指摘しているのが、「情報教育を指導できる教員」や「日本語を指導する教員」だ。
不足を補うために、「情報教育を指導できる専門性の高い教員を確保する上で、特別免許の活用促進によって、企業のIT専門人材を学校現場で活用することも検討すべきである」とある。これは、第一次提言でも述べられている。
情報教育の充実のために、企業から専門家を招くことは頭ごなしに否定していいことではない。子どもたちの成長のために多くの優秀な人たちが関わることには、大きな意味がある。
ただし、企業における人材育成の考え方がそのまま学校という場に持ち込まれることには注意が必要かもしれない。企業の専門家が学校で指導するためには、学校教育についての十分な理解が前提でなければならないはずだ。
情報教育と同じく「日本語を指導する教員」も不足していると指摘しているのだが、ここでは企業からの人材を活用することには触れられていない。世界各国に駐在したを企業人は大勢いるのだから、そうした人材を学校で活用できれば、日本の公立学校でも増えている海外にルーツをもつ子どもたちの支援に大きな役割を果たす可能性がある。しかし、第二次提言でもそれには触れられていないのである。
さらに「教員の配置」の項では、「学校のICT化が飛躍的に進めば、教え方が卓越している教員と現場の教員との役割分担が可能となる」ともしている。
具体的には、「教え方が卓越している魅力的な教員による質の高い授業をオンライン等で広く配信」し、「現場の教員は、個々の児童生徒の学習進度をリアルタイムで把握し、つまづいている児童生徒に対して、積極的に声をかけ、回答のヒントを出したり、アドバイスしたりするなどのコーチングや児童生徒の悩みを等を聞いて助言するメンタリングの役割が期待される」という。
授業の主体は「卓越している魅力的な教員」によるオンライン授業であり、教室にいる教員はフォローする立場として、「役割分担」を提言している。学校における授業の本質ということでは、短絡的な「効果的・効率的」の手法に対する疑問がでてくるかもしれない。
経団連は第一次提言に継ぐ第二次提言で、教育の根本からの変革を求めている。それは「意見のひとつ」でしかないのだろうが、それに引きづられすぎると、「経済界のための教育」になってしまいかねない。
かといって無視するのでもなく、それも踏まえて教育という「本質」を考えるべきときなのかもしれない。経団連の提言は、そのきっかけになるかもしれない。