ガーデンメイカー信長② 信長の庭園思想
季節と時節でつづる戦国おりおり第466回
小牧山城の主郭付近に枯山水と考えられる庭園がしつらえられていたというのは、非常に興味深い新発見です。なにしろ、織田信長という人物の思想に大きく関係している可能性が非常に高いのですから。
枯山水というのは、禅宗寺院や古くからの城館にも採用された庭園形式ですが、水を使わず小石・砂と石で海や山、島を表現する手法です。元々は池や滝をあしらって造られた本格的な庭園を、抽象的に再現したという感じでしょうか。 古代中国では池の中に築山(假山)をきずき、伝説の不老長寿の仙境・蓬莱島になぞらえて帝王の支配する永遠の世界というものを王権の象徴としました。そこから派生した枯山水というのも表現するものは基本的に同じで、信長の場合この枯山水が好きだったものか、小牧山城の次の本拠地となる岐阜城の居館跡でも玉石を敷き詰めた枯山水らしい痕跡が発掘されています。
彼は岐阜城の主となった翌々永禄12年(1569)には京で将軍・足利義昭のために二条御所(二条古城)を築きますが、このときは枯山水ではなく池泉式の庭園を造らせました。川水を引き込んで池をつくり、築山を盛り、あちこちから名石を集めて来て、特に「藤戸石」という大石を「御庭に立置かるべき」と、立石にすべく、自ら指揮して賑やかに引かせて運び入れています。彼自身、造園についてはかなりこだわりがあって意欲的だったのです。
安土城の場合はそういう発見はありませんが、文献によって城の天主と山内の摠見寺に「盆山(盆石)」が安置されていたことが分かっています。盆山というのは盆の上に砂を敷き、石を置いたミニチュア版の枯山水ですね。
信長のこういう嗜好が、彼のどういう世界観から来ているのかを考察するのは、心理学的にもとても面白いと思います。