むかしの日本人はおなかの中の「虫」に悩まされた。
平安時代の日本では、天皇や上流貴族も赤痢に苦しみ…【和食の科学史⑤】
「日本人の体質」を科学的に説き、「正しい健康法」を提唱している奥田昌子医師。彼女の著書は刊行されるや常にベストセラーとなり、いま最も注目されている内科医にして作家である。「日本人はこれまで一体どんな病気になり、何を食べてきたか」「長寿を実現するにはどんな食事が大事なのか」日本人誕生から今日までの「食と生活」の歴史を振り返り、日本人に合った正しい健康食の奥義を解き明かす、著者渾身の大河連載がスタート! 日本人を長寿にした、壮大な「食と健康」の大河ロマンをご堪能あれ。
■科学的な視点が芽生えた鎌倉時代
平氏が滅亡し、源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、本格的な武家政権が始まりました。南北朝の内乱、応仁の乱をへて、群雄割拠、下克上の戦国時代に突入する争乱の世の幕開けです。
形式と格調を重んじる平安の貴族社会と異なり、鎌倉の武家社会が重視したのは実質とわかりやすさでした。これを反映して、医術にも効き目が求められるようになりました。すでに遣唐使が廃止されていたため、中国大陸の進んだ医学を持ち帰ったのは留学した僧侶たちです。やがて医術の心得のある僧侶が医師になり、仏教の布教をかねて一般の人々の治療にあたるようになりました。
武家出身の僧、梶原性全(かじわらしょうぜん)が執筆した医書『頓医抄(とんいしょう)』は全50巻からなります。平安時代の『医心方』が漢文で書かれていたのとは対照的に、カタカナ混じりの読みやすい和文で書かれています。また、性全は他の著作に、日本の医学書にはそれまでなかった人体解剖図をおさめました。これより150年前に中国大陸で初めて記載された人体解剖図を参考にしたようです。
現代の知識に照らすと非常におおざっぱで、正確とはいえない描写もありますが、「病気は物の怪や怨霊のせいではなく、何か理屈で説明できるはずだ。これを知るには体の構造と、体が働くしくみを正確に理解する必要がある」という、性全の決意が感じられます。