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日本人はもともと1日2食。3食の習慣は元禄時代から?

鎌倉時代から室町時代にかけて、日本人の食生活におきた変化【和食の科学史⑥】

■現代に近い鮓(すし)の誕生

 この当時、味醂はまだありませんでしたが、塩、酢、酒、そして醤油に近いものも普及し、酒粕に魚や野菜を漬け込む粕漬けも生まれていました。役者が揃うなか、登場したのが現代の寿司に近い「すし」で、当時は「鮓」の字を当てていたようです。鮓のルーツは、紀元前に東南アジアの水田地帯で作られた魚の保存食という説が有力です。これが中国大陸をへて日本に伝わったと考えられ、奈良時代の文献に鮓に関する記述が出てきます。

 しかし、このころの鮓は、魚に米飯と塩を混ぜて数ヵ月から数年かけて発酵させたもので、いわば魚の漬けものでした。蒸し暑い日本では、食品を保存するために、古代から塩漬けが広く行われていたのです。しかし、この作りかたでは、ご飯はどろどろになるので食べられません。

 これが室町時代になると、もっと速く作りたい、どうせならご飯も食べたいということで、半月から一ヵ月程度で発酵を切り上げる手法が開発されました。ご飯にほどよい酸味がついて、おいしく食べられたようです。こうして鮓は魚料理から、ご飯ものに大きな転換をとげ、庶民にも普及しました。ただし、形式を尊ぶ宮中では、昔ながらのじっくり漬け込む鮓を食べていました。何ごとにもこだわりがあったのですね。

 この時代には、ワサビ、生姜もすでに使われていました。室町時代初期に書かれた『庭訓往来(ていきんおうらい)』は、当時の武家社会の年中行事にからめて、武家の生活に必要な知識をまとめた書物です。ここに調味料として、ワサビ、辛子、生姜、胡椒が出てきます。

(連載第7回へつづく)

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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