【一個人】秘境駅をめぐる旅<第二回>最果てにあった知られざる幻の駅 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

【一個人】秘境駅をめぐる旅<第二回>最果てにあった知られざる幻の駅

宗谷本線の秘境駅探訪。その前に是非みておきたい番外編


広大な北方領土がかつて日本の一部だったと言うことを記憶している方は、かなりの高齢であるはずだ。ほとんどの方は歴史の授業で初めて聞いたとか、テレビや映画で当時の日本を知ったと言うのが、現実ではないだろうか。北海道の海を隔てた向こう側に、日本の領土があったのは確か。豊富な森林資源や天然資源、そこで獲れる海産物、未知の温泉や観光地……。北の島に無限の可能性を感じていた開拓者たちの息吹を感じる、今も残る「鉄道遺産」を訪ねてみよう。


■日本最北端の駅は?と聞かれて「稚内」と答えた方は正解だけど不正解

左端に僅かに残るプラットホームの痕跡。

 稚内まで列車で来ると、はるばる遠くまで来たな、という感がある。

 旭川から宗谷本線に乗ると、しばらくは車窓に長閑な田園地帯が続いて癒されるが、変貌するのは中間地点よりやや手前の、名寄を越えてからだ。どこまで行っても行っても、おなじような荒涼とした景色が続き、本当にこの先、何があるんだろうと思わせる。

 南稚内が近づくと、突如、大都会を感じさせる街並みが出現して、驚かされる。まるで夢のような光景だ。

 しかし稚内はかつて終着駅ではなく、あくまでも途中の乗り換え駅だった。戦前に日本の領土だった樺太サハリン)へは、ここから更に稚泊航路に乗り変える必要があった。

 そんなわけで、ここはロシアとの交易が積極的にあった国際都市のような雰囲気と言うか、エキゾチックな匂いが今も残っている。これだけの大都市の玄関口なのに、稚内駅のホームはわずか一本だけの簡素な構造。天北線が現存していた頃は、少なくとも賑わっていたのだが、今は寂しい限りである。

 改札を出て、駅のコンコースを抜けると、何やら不思議なものに巡り会える。線路がもっと先まで続いているのだ。その線路は海へ向かってまっすぐ伸びており、右に折れたところに、ローマ建築のような巨大な防波堤が現れる。

北防波堤ドームの設計図。

 全長427メートル、間には70本の円柱が連なり、13.2メートルの高さ。巨大な半アーチ状の建物は、ハイカラな意匠で一見、防波堤とは思えない。まるで巨大な寺院のようだ。この防波堤は2001(平成13)年、北海道遺産に指定。稚内を代表する観光スポットとして、またランドマークとして知られるようになった。

 実はここは「稚内桟橋」仮乗降場という駅である。連絡船へ乗降する客の便宜を図って、駅より少し先の海面ギリギリにまで、列車を動かしていた。ドームの内側にはプラットホームの痕跡があり、今は埋め立てられている稚内駅側に連絡船の船着き場があった。列車を降りた乗客がすぐに船に乗れるように配慮されている。

 仮乗降場と言うのは、国鉄時代に北海道に多数存在していた「駅のようで駅でない」闇の駅で、正式に駅としては認められず、北海道鉄道管理局が独自に設けた簡易的な駅のことである。これに関しての詳細は、宝島社刊「地図にない駅」(牛山隆信・監修)に詳しく載っているので、参照頂きたい。

 稚内桟橋仮乗降場は、稚内の駅からはほんの数百メートル。駅の構内とみなしているので、駅として運賃を取るのは忍びないということだろう。鉄道側のささやかなサービスとして考えて良い。当初、宗谷本線が開業した時、駅は2キロも南側にあり、そこから乗客は徒歩でゾロゾロとこの波止場まで歩く必要があったというから、大した進歩である。

北防波堤前には記念碑とSLの動輪がある。

 この北防波堤ドームの完成は1936(昭和11)年。設計を手がけたのは、稚内築港事務所に勤務していた新進気鋭の技師、土谷實(つちやみのる)である。

 ロシア側から吹きつける強風や波のせいで、船の転覆や乗船客の転落事故があり、当初の脆弱な防波堤の改築が求められていた。土谷氏は強度計算をして設計、工事の指揮まで、ほぼ全ての業務を一人で行なった。海峡独自の波浪条件を解析した結果、円柱とアーチ屋根を持つ回廊のような独特のデザインになったという。

 この建築物が100年以上前から存在していたことに、今さらながら驚きを感じる。そして、ここに蒸気機関車と連絡船が並んでいたと言う事実も、今ではにわか信じがたい。上りの列車を待つ間、しばし宗谷海峡の風を浴びて、技術者の功績をたたえつつ、当時に思いをはせるのもいいだろう。

<第三回へ続く>

KEYWORDS:

■ベストセラーズから、メッチャごっついボリューム。鉄分満点の鉄道本が発売されるお知らせ

木村裕子さんもオドロキ! これ一冊ですべての鉄道が分かっちゃう、お役立ちの本が発売日変更、令和3年8月2日に発売されます。
「この電車、なんて名前なんだろ?」とふと思った時にさっと調べられる、乗り鉄、撮り鉄なら持っていたい必携の書。JRから私鉄まで、ぜんぶの電車が載ってる本は現在、これだけです!
鉄道系人気ユーチューバー、スーツさんもご推薦! 乞うご期待です!


■木村鉄道株式会社より大幅なダイヤ改正のお知らせ(鉄旅タレント卒業します!)

木村鉄道株式会社の社員のみなさん、関係者のみなさん、いつも応援して下さっているみなさんへご報告です。

わたくし鉄旅タレント木村裕子は、来年2021年5月30日(日)を持ちまして、鉄旅タレントから心理のお仕事へ大幅なダイヤ改正(肩書変更)することといたしました。

私には10代の頃、「芸能人になりたい!」と「心理に関するお仕事をしたい!」という2つの夢がありました。

19歳のときに「芸能人行き」の列車を選び、そこでやってみたい夢リスト100個を作って挑戦した結果、なんと芸歴19年でその100個を叶えることができました。

この100リスト達成をキッカケに、昨年からもうひとつの夢だった心理に関するお仕事を副業で始めたところ、有難いことに徐々にお客さんが増えていき、そちら1本で生活できるまでになりました。

心理の仕事の詳しい内容は、

★公式HP  「虐待で育った私が世の毒親問題をめった斬る!毒親との正しい戦い方教えます。」

★概要  30歳まで母の教え「お前は幸せになってはいけない」を守り続けたおバカ。19歳で家出、34歳で親と縁を切るなどを経て現在良好な親子関係に。その経験を生かしてブログ更新中♪  を参照してください。

そのためここでいったん鉄旅タレントに区切りをつけて、30代最後の挑戦として肩書きを変え、新型列車「解毒案内人」行きへ乗り換えすることを決めました。

肩書きは変わりますが、今まで同様、事務所はマセキ芸能社になります。

今後の鉄道関係のお仕事は、

肩書き:解毒案内人
名前:木村裕子
趣味・特技:日本の鉄道を完乗したレベルの乗り鉄(元鉄旅タレント)
主な活動:執筆、講演会、無料・有料相談、メディア出演など

という立場でもご依頼頂ける場合には、喜んでお受けさせていただきます!

(※いったん鉄道関連のお仕事をリセットするため、現在のレギュラーのお仕事は、来年5月末までに卒業という方向で話し合い中です。)

19歳のとき、「芸能界にコネもない、お金もない私がどこまで行けるか!?」と宣言し、ここまで木村鉄道に乗車&応援して下さったみなさんには本当に本当に本当に本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そのため、今後のコロナの状況にもよりますが、あと半年間で出来るだけ全国あちこちでみなさんと会えるイベントやオンラインイベントが出来ればと思っています!

そしてイベントやメディア等への出演案件がございましたら、ぜひお声がけお待ちしています♪

リニューアルまであと半年、よろしくお願いいたします!

※木村鉄道の廃線ではありません。笑


■映画「電車を止めるな!~のろいの6.4km~」 木村裕子役で出演させて頂きました

廃線寸前の鉄道会社が企画した、起死回生の「心霊電車」企画
カメラを前に社員全員で必死に心霊現象を演出するが
視聴者からの厳しい書き込みで炎上していた。
しかし、丑三つ時に本物の霊現象が起こり始める。
電車は止まることなく走り続け、終着駅まであとわずか...
参加者、そして銚子電鉄の運命は───!?

上映場所のご案内・チケット購入はこちら→https://www.dentome.net/

オススメ記事

一個人 編集部

この著者の記事一覧

RELATED BOOKS -関連書籍-

女子鉄ひとりたび: “裕子流鉄道旅”に同行すると、日本が愛おしくなる
女子鉄ひとりたび: “裕子流鉄道旅”に同行すると、日本が愛おしくなる
  • 木村裕子
  • 2019.12.25
カラー版 地図にない駅 (宝島社新書)
カラー版 地図にない駅 (宝島社新書)
  •  
  • 2017.04.10