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堅固な防御陣、パック・フロントの威力に泣かされたドイツ軍

第2次世界大戦 戦車戦小史②

■「全隊撃て!」

写真を拡大 クルスクの草原を前進するドイツ軍のIV号戦車部隊。強力なソ連軍の対戦車火器に対抗すべく車体各部にシュルツェン(補助装甲板)や予備履帯を所狭しと装着し、装甲防御力の強化を図っている。冬には一面の雪原となるロシアの大地だが、夏にはご覧のように丈の高い草に覆われる。

「まだ撃つな!あと少し引き付けろ!」

 先ほどのドイツ軍の事前砲撃でかぶった土埃を払う間もなく、塹壕の胸壁の土嚢に寄りかかったニコライ・タジンスキー中尉は、手にした双眼鏡を覗きながら傍らのチトフ曹長に言った。彼が指揮するこのパック・フロントには、76.2mm師団砲2門と45mm対戦車砲3門、それに8挺の対戦車ライフルが配備されている。

 数両のIV号戦車を前面に立てて進んでくるドイツ軍の先鋒が約800mに迫ったところで、タジンスキーは怒鳴った。

「全隊撃て!」

 この一言で、大はラッチェブム(76.2mm師団砲も含むソ連軍対戦車砲全般に対してドイツ軍が付けた渾名。砲弾の着弾炸裂音「ラッチェ」が先で発射音「ブム」が後から聞こえるぐらい弾速が速いという意味で)から小はペーペーシャー(PPSh41サブマシンガンの愛称。「殺せ、殺せ、シャー銃よ」の意)に至るまで、彼の指揮下にある全火器が、敵に届くと思われたなら個別の許可を得ることなく撃ち出してよいことになった。

 眼前で1両のIV号戦車がガクンとつんのめるように停止すると、砲塔や車体上部のハッチが開かれ、中から黒煙と共にドイツ戦車兵がもがくように這い出てきた。と、そのうちの車長らしき人物はハッチから出る前に突然がっくりと崩れるように再び砲塔内に消えた。狙撃されたようだ。うまく脱出して後方に走って逃げようとしたうちの1人も、さほど戻らないうちに下生えの中に斃れた。

「よくやった! 誰の手柄か?」

 戦場の凄まじい喧騒の中で、実際には誰の手柄かはわからなくとも、タジンスキーは指揮官として部下の手腕を褒めた。戦車を動かす技能者の戦車兵を斃すことは、戦車を撃破するのと同じぐらいの価値があるからだ。

 

 彼の部下たちが撃ちまくるデグチャレフ軽機関銃とモシン・ナガン小銃、そしてペーペーシャーの掃射を食らったドイツ装甲擲弾兵たちは、射竦められて前に進めず、這いながら徐々に後退して行った。

 この戦闘でタジンスキーたちが撃破したドイツ戦車はわずか1両。だが、敵に突破を許さなかったことが何よりも重要であり、それがこのパック・フロントの価値なのだ。

「奴ら、また来るぞ。曹長、全員に弾薬と私からの褒美だといって煙草を配ってやれ!」

 巨大なクルスク突出部の南翼最前線に連なった無数のパック・フロント。そのひとつに加えられた第1撃はかくて撃退された。だがドイツ軍はすぐに新たな攻撃を仕掛けてくるに違いない。いつまで持ちこたえられるのか? 大隊長が約束した味方戦車の増援は、いつになったらやって来るのか? 

 今さっきまで雄々しく戦っていた部下たちと同じく、彼もまた、上官の指示通りに戦わねばならなかった。胸の中で膨らむ不安を抑え込んで・・・

 この点描で報告されているごとく、パック・フロントそのものにドイツ戦車を積極的に撃破する効果がある訳ではない。だが、ドイツ戦車の突破を許さないという点で絶大な効果を発揮。ドイツ軍の攻勢タイムテーブルを大きく遅らせると同時に、じわじわとだが馬鹿にならない量の出血を強いた。そしてそれは、とりもなおさずソ連側の反撃のための貴重な布石となったのだった。

 かような成果などもあって、パック・フロントは、野戦築城史上に名を残す優れた陣地と評されることになったのである。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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