大坂夏の陣・道明寺口と誉田の戦いをめぐる②誉田八幡宮(1)
季節と時節でつづる戦国おりおり第360回
■落ち着いた雰囲気の誉田八幡宮
仲哀天皇陵の拝殿の西側は幹線道路に商店街がリンクしており、狭いです。お車でお越しの場合は東南角方面からアクセスされる方が便利かも知れません。これマメ知識。
ここから東南東へ2キロ余り移動すると、誉田八幡宮です。
境内は広く、落ち着いた空気。旧河内国古市郡に属する神社で、祭神は応神天皇。それもそのはず、この社はすぐ北隣りの応神天皇陵古墳を守るもの。
天正14年(1586)の火災後、豊臣秀頼の命により片桐且元が再建事業を奉行しますが、その際に秀頼は誉田八幡宮に寄進をしています。
「十貫文 御廟山手銭
二貫五百六十文 同外之(ほかの)山銭
三貫文 同池よし銭」
二貫五百六十文 同外之(ほかの)山銭
三貫文 同池よし銭」
山手銭(やまてぜに)・山銭(やません)というのは、山で採れる薪(たきぎ)などに課される税で、よし銭は葦銭(池に生える葦は葦簀(よしず)や肥料・燃料などに使える。その葦を採取することに対する税金。
この時代、天皇陵といえども庶民は自由に出入りし、落ち葉や枝などを拾っていました。
それらの税金、合わせて15貫560文を八幡宮に寄附したわけで、これは現在の価値に換算すると100万円前後になるでしょう。
八幡宮拝殿。前にはしっかりと右近の橘・左近の桜が配されていますね。
片桐且元による再建で築かれた建物ですが、途中で大坂の陣が起こったために屋根裏の天井板が張られないまま現在に至っています。
宮司さんの息子さんは「冬はすきま風が入ってことのほか寒い」と苦笑まじりに語っておられました。
拝殿の屋根には徳川の三つ葉葵があしらわれています。