大坂夏の陣・道明寺口と誉田の戦いをめぐる③誉田八幡宮(2)
季節と時節でつづる戦国おりおり第361回
慶長10年(1605)から開始された再建工事が大坂の陣で中断し、徳川3代将軍・家光が再開して10~30年後にようやく完成したという内容が記されています。
こちらは、その右奥にある石造りの「放生橋(ほうじょうばし)。
祭礼で神輿が応神天皇陵に渡御するためのものです。
鳥居の方に少し戻ると、植え込みの中に石碑が。
天皇陵を含む誉田の林一帯は、楠木正行(まさつら。正成の子)が南朝のために奮戦し、応仁の乱につながる畠山政長と義就が死闘を繰り広げ、大坂夏の陣では薄田兼相が布陣し、真田信繁(幸村)が伊達勢を苦しめた、歴史上何度も登場する古戦場です。その理由についてはこれからおいおいご説明していきましょう。