大坂夏の陣・道明寺口と誉田の戦いをめぐる④応神天皇陵から薄田兼相墓へ
季節と時節でつづる戦国おりおり第362回
道明寺の戦いで真田信繁が布陣したのが、この一帯でした。ここからまっすぐ東へ向かえば道明寺なのですが、ここでは一旦東南に進路をとり、1キロ20分弱歩きます。
薄田兼相墓。右の自然石が墓石で、左は戦死推定地碑です。
慶長20年(元和元年、1615)5月6日、幕府軍を迎え討つ大坂方の豊臣軍、後藤又兵衛基次に続く先鋒第2陣としてこの地に到着した兼相は、遅れて到着したため又兵衛と打ち合わせすると部隊を置いて前線に赴き、そこで又兵衛の討ち死にを知り、みずからもそのまま単独で敵と戦い、戦死しました。もし薄田隊がもう少し早く着き、兼相も1000人前後と思われる部隊を引き連れて前線に向かっていれば…戦いの様相は大きく変わったかも知れません。
次の写真をご覧いただきましょう。
薄田兼相墓から応神天皇陵方向を遠望したものです。中央の小丘陵が応神天皇陵。こうして見ると、応神天皇陵からこちらへとかなりの勾配で下っていることがわかります。
この高低差を利用せず、低みで討ち死にしたとすれば、兼相はよほど後藤隊の敗残兵を少しでも救出しようと焦っていたのでしょう。