天下取りの鍵は健康長寿〜戦乱の世の食養生〜
戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑧】
■酒は両刃の剣
日本における酒作りの歴史は古く、なんと縄文時代の三内丸山遺跡から果実酒を作ったあとが見つかっています。果物を自然に発酵させる素朴な製法だったと思われますが、やがて弥生時代に稲作が伝わると、米を使って酒を作るようになりました。米が主食の日本人にとって、米の酒は理屈抜きにやすらげるものだったでしょう。
室町時代には麹と酵母に含まれる酵素の力で米のデンプンを分解し、アルコールに変える技術が開発されました。現代に近い醸造法の誕生です。当時は、おりと呼ばれる沈殿物を取り除くことができなかったため、濁り酒、いわゆるどぶろくばかりで、安土桃山時代に入るころから一部の地域で澄んだ清酒が作られるようになりました。このころ日本を訪れたスペインの商人は、「日本の酒は健康に良く、体に肉が付く。スペインのビールとはくらべものにならないほど上等だ」と書き記しています。
目上の人から杯をもらう風習は日本独自のもののようで、日本に滞在したポルトガルの宣教師たちは、秀吉に謁見するたびに杯を回され、驚き、感激したようです。
この時代にはすでに焼酎も存在し、薩摩、現在の鹿児島では米焼酎を飲んでいました。南蛮渡来のワインは大変な貴重品で、秀吉や石田三成が大名の接待にもちいたといわれています。
酒には武士を奮い立たせ、戦いの疲れをいやす力がありますが、それも節度をもって飲めばこそ。酒に気を許さなかった元就と異なり、酒で失敗する武将が少なくありませんでした。伊達政宗は深酒して側近の頭を脇差しで殴り、ケガをさせていますし、福島正則にいたっては、酒の飲み過ぎをいさめた家臣を切腹させたあげく、酔いがさめてから家臣がいないことに気づき、事実を知って号泣したとか、秀吉から贈られた見事な槍を酒の勢いで人に与え、これが大騒動に発展したなどの情けない話が伝えられています。
しかし、酒の本当の怖さは命にかかわることです。
日本人はアルコールを肝臓で分解する酵素の働きが生まれつき弱い人が多く、欧米人とくらべて飲酒の害が起こりやすいことがわかっています。飲める飲めないは関係ありません。日常的に飲んでいると、たいていの人は飲めるようになりますが、アルコールの害はひそかに蓄積します。
肝臓の働きが低下して肝炎、肝硬変になるだけでなく、肝臓がん、大腸がん、食道がんをはじめ、さまざまながんの発症率が高まります。さらに血圧を押し上げて、脳の血管が破れる脳出血を招くのです。近年の研究によると、血圧を上げずに飲める量は日本酒なら一日1合、ビールなら中びん1本くらいまでとされています。
(連載第9回へつづく)